この不況の構造は判明してきた。
製造業は、売上が半分になり、膨大な在庫調整が必要となっている。
もともと、日本ではものが売れていない。
大家族が核家族になり、さらに一人暮らしが増えた。
一家に一台の車は行きわたり、一人に一台の携帯電話やパソコンも完全に行き渡った。
あるのは、買い替え需要だけだ。
実質、世界で一番、豊かな国。この日本の姿は、世界の未来の姿だ。
失われた15年というが、これが本来の姿だというと言い過ぎだろうか。
物は相変わらず溢れている。
この不況は、大きな2つの変化が絡まり合ったものだ。
一つの流れは、大量消費文化が終焉に向かう流れ(インフレ)、もう一つは、金が金を生む金融主体の資本主義が終焉に向かう流れ(デフレ)。
まず、デフレで、次にインフレが襲う。
企業の生産調整と金融の国有化が終わるまではデフレが続き、その後インフレに転じる。
これは、間違いない。
一旦、給料が半分になり、その後、資源需要の緩やかな回復に応じてインフレに転じる。
売上半分、給料半分、必要なものを必要なだけ生産、販売する社会になるのだ。
それは不幸なことだろうか?
個別の事情抜きに、日本社会全体で見れば、決して悪いことではない。
問題は、そこに至る過程で、富の再分配が上手く行われるかどうかだ。
政治の仕事は、そこに尽きる。
国の税収は、当然半減する。国民の収入が半分になるのだから当たり前。
当然、公務員の給料も半分、利権の巣窟たる天下り法人は解散。
次の政府の主たる仕事はそれだ。
そのうち1500兆円の金融資産から相続税がたんまり取れる。
金が金を生む既得権、利権で生きる人から、金を取り上げ、社会に分配せねばならない。
月収30万の人が、半分になると暮らしていけないが、月収100万の人が、50万になっても暮らしていける。
資産1憶以上ある人に年金はいらないだろう。
数字上、景気回復など2度と無い。
数字だけ追い求めると本質を見誤る。
消費生活ではない豊かな暮らしはいくらでも可能だ。
地方で家があり、家計収入が年間300万円の暮らしは、不幸だろうか?
悪くない。農業でも採算は合う。
失われた15年は、その準備期間だと思えば悪くない。
諸外国より、15年進んでいたのだと思う。
その覚悟があれば、真っ先に変われるはず。