もう、300~400人の死に際に立ち会ったのだそうだ。
彼女の言葉で、身にしみた言葉が、人は生きてきたようにしか死ね無いという言葉。
救急をやってる女医さんが、
「70代、80代は、長生き。救急で来てもなかなか死なない。若い世代の方が簡単に死ぬ。」
と言っていた。
その話を、看護師さんに聞くと、
「そのとおりだけど、無駄に延命されることになるよという。」
会って話をした、その日の昼間。
患者さんが2人亡くなったのだそうだ。
一人は、30歳の女性、婚約者もいたそうだ。
発病は4年前。
この女性は、自分の家族と自分の死について前もって話し合っていたのだという。
「綺麗に死にたい。」それが、その女性の望みだった。
肺から大量の血を吐いたその日、彼女の母親は、彼女の人工呼吸器をはずしてくれと言ったという。
彼女の望みを代弁したのだ。
彼女は亡くなった。
しかし、彼女の母親は、取り乱すことなく彼女の死を受け入れた。
その死に際の、美しさと潔さに、病院関係者は皆、涙を抑えきれなかったそうだ。
看護師の彼女は言う、もうダメなら、好きにさせたほうが良いじゃないの。
(もちろん、彼女の個人的な意見。)
中には、生命維持装置をつけられ、見込みのないままずっと苦痛を抱えさせたまま生き続けさせられる患者もいる。生き続けることだけが真実なのだろうか。
自殺する大バカとは、違う。最後の最後に、自分で生死を選ぶ自由は与えられても良いのではないか。
そうなったときは、自分で意志が伝えられない状態だから、家族にその責任は及ぶ。
看護婦の彼女は、喉頭がんの父親を自宅に引き取ったのだそうだ。
母親は、最初それを拒んだ。
拒むのなら、離婚して頂戴と、彼女は母親に行った。
家に引き取った父親は、たばこと酒をやめなかった。
けれど結局、余命3か月と言われていた父親は、それから1年生きることが出来たのだそうだ。
覚悟した上での死には、なにか人間の荘厳な意志のようなものを感じる。