デフレのちインフレ。


今起きている様々な出来事。

誰も想像できなかったこの変化。


この事実は、この変化に対して人間が出来ることは限られていることを示唆しているに違いない。


今、現在、アメリカの為政者に出来ることは、どんどん紙幣を刷ることだけだ。

壊滅的な破壊を避けるためには、それしかない。

そして、そのつけは、必ず払わされることになる。


GMには、存在価値がないのだ。

救済したところで、なんらかの形で解体、清算は免れない。

(そんなことは、皆知ってるはずだが、まだ知らないふりをしている。)

今回の救済もソフトランディングへの方策としての支援だ。

金融バブルのおかげで生き残っていた企業も、これから、確実に追い込まれる。

この場を生産調整で生き残れる製造業があれば、それは次の時代の主役間違いなし。


大局的には、各メーカーの人員削減は、国益にかなう。

人道的立場から、ばかり報道するマスコミは頭が悪すぎる。

(本当にそう思っているなら、次の選挙は、共産党か社民党に投票してください。)


今回の変化は正に100年に一度の変化なのだろう。


そうだとすれば、皆が想像してるよりも、もっと大きな変化が起きなければならない。

日本人にとって、100年に一度の変化とは、江戸から明治への変化と、大正から昭和の戦争へと続く変化に他ならない。


そうだとすれば、景気回復がいつという議論さえ空しいことに気がつく。

先の2度の変化は、日本社会を根底から変えたのだ。

2度続けてあったのだから、無いと考える方が無理がある。

大幅にルールが変わった。

景気がどうのと言う次元の変化ではない。景気という言葉の意味さえ、現在のルール上で成り立っているコンセンサスに過ぎない。

かつての2度の変化の時には、金持ちの財産さえも取り上げられたのだ。

特権階級が、その既得権を奪われたのだ。


今起きているのは、既存の仕組み(ルール)を守ろうという前時代の勝者の最後のあがき。

その抵抗するみじめな姿が、アメリカ発のTVニュースでどんどんさらされている。

そのあからさまな姿は、滑稽ではあるが、人々に問題の本質を指し示すには十分な効果がある。


そう理解して、今の日本の政治のやっていることを見れば、まさに滑稽以外のなにものでも無い。


一年で、インフレ(原油高)→デフレ(円高)→インフレ(紙幣の増刷)


変化のスピードに、政治もマスコミもついていけない。

製造業の素早い生産調整こそ称賛されるべきで、リストラで企業を非難するのは片手落ち。

今の製造業の素早い対応は、将来、国益にかなう。


これから、国内の工場の閉鎖はさらに増える。

売上が半分になれば、工場が半分になるのは当たり前だ。


インフレとは、お金の価値が下がるということを指す。

今あるのは、金融バブルを落ち着かせる為のインフレ圧力だが、在庫調整が一巡すれば、この先にはもともとあった過剰生産、過剰消費の反動としての資源高、食糧高のインフレ圧力がかかる。


ほんの短い間に怒涛の上げ下げが起きる。

この変化に、今の政治家はついていけないだろう。

そして、来年には新しい政治体制に移行する。


その政権の掲げる政策はオバマ政権の政策で良いはずだ。

(もちろん、日本国民を米国民に置き換えて。)


来年の干支は、己丑(つちのとのうし)。


干支は、60年で一周する。還暦。


前回の己丑の年は、1949年。

僕の生まれる12年前だ。


1949年。

GHQの主導により1ドル/360円の為替レートが固定された。

共産主義の排斥。

国鉄、専売公社設立。


前々回の己丑は、1889年。

大日本帝国憲法の公布。


己丑の納音は’霹靂火’。

(そう、僕の生まれ日もまた己丑。)


意味は、’青天の霹靂、雷鳴の中を恐れず歩く’という意味だ。

今年の干支は、戊子。霹靂火の陽。

今回の出来事は、まさに青天の霹靂。

激動だ。


続く来年もまた、鳴り響く雷を耐えねばならない。


本当は、ずっと前にルールは変わっていたのだ。

20年くらい前に。

ルールに背き続けた結果、今回の晴天の霹靂に見舞われることになったのだ。

そう見れば、9.11も太平洋戦争も説明可能だ。


これは、ただの不景気ではない。

ついに耐えきれなくて壊れたのだ。

来年は、新しいルールが始まる年。


大混乱の中で、次の時代の立ち位置を決める年。

次のルールにそぐわないものは、力を失っていく。



金の価値が下がるということは、今まで金に物を言わせてきた日本の立場が弱まることを意味している。

やはり、次のテーマは、水と資源と食糧なのだろう。

エコに一番非協力的であったアメリカが、一番しっぺ返しを食らうのは道理にあっている。

ガソリン食いの車しか作れないGMもしかり。


60年前の戦争は、資源戦争とも言われている。


今、大国間で簡単に戦争が起きるとは考えにくいが、水と資源と食糧をめぐる国際的な軋轢が増すことは確かだ。日本も、金以外の力を持たねば、国ごと、食いっぱぐれる。

食糧自給率のアップと代替エネルギー開発は、最優先事項だ。

下手をすれば、食糧、石油でまた脅される。



個々の人に至っては、サバイバル能力がものを言う。


何度も言うが、親の世代の意見はあてにならない。

いや、誰の言うこともあてにならない。

成功体験ほど当てにならない。


なぜなら、おそらく、この変化は人智を超えたところにあるからだ。

そしてルールが変わるのだ。



大きく変わることだけ判っている。

変化を恐れてはいけない。

靴を投げられたブッシュや米自動車会社の経営者の惨めな姿は、これから、多かれ少なかれ、いろんな人に重なっていく。


どうせ、大波にのまれるのだ。

何があっても動じる必要はない。

なるようにしかならない。抵抗すれば余計に被害甚大となる。

あせればあせるほど、みっともないことになる。


とりあえず、来年を乗り切れば、雷は止む。

そこから新しいルールの適用が始まる。

大半の人はそこからスタートだ。



そう言えば、清水寺の今年の漢字は、’’だった。

人々が青天の霹靂に驚いたのが今年なら、来年は鳴り響く雷の中を歩むことになる。


僕が、つけるなら、来年の漢字は、’耐’か’忍’かな。