今日は、税務署に行ってきた。


払うべきものを払う話をしに行った。

人任せにせず、自分で交渉に行くと色んなことが、判明する。

税理士さんの仕事は、煩わしい経理、税務の仕事をやってくれるのがその役目だが、税理士さんが役に立つのは会社が好調の時だけだ。


困った時には経営者自身が、交渉に当たらねば、なかなか交渉はうまくいかない。


長年、会社経営をやっているとお金には色んな種類があることに気づく。

同じ1000万でも、人によってその価値はまったく違う。


人に払う何千万もの金も、自分の使える幾ばくかの金も、税金で納める何千万もの金。

銀行にあるお金、有価証券としての金、不動産としての金。


全部種類が違う。


さらに時間軸や社会情勢、国際情勢などによっても、刻々と変化していく。

お金は移り変わっていくものだ。


僕には会社という、お金を生み出す財産があるが。

その稼ぐ金にも色々な種類がある。

人を派遣して稼ぐ金、製品を売って稼ぐ金、サービスを売って稼ぐ金。

同じものが、百万の時もあれば1千万で売れることもある。

大企業の看板を使えば1憶で売れることもある。


お金にはいろいろな種類があることがわかる。

だが、多くの人はお金には、何か絶対的な価値があると思っている。


まったく違う。本当は、すべてはプライスレスだ。時価といっても良い。

お金は、便宜上存在しているのだ。


危機の時に、金やプラチナが高騰するのも、世界中の人々の間で、金やプラチナが価値のあるものだというコンセンサスがあるからに他ならない。


さらに大局的に述べれば、つい60年前と比べて、金の相対的な価値は倍以上に膨れ上がっている。

第一次産品は、この60年で全く値上がりしていない。


おそらく有史始まって以来、これほど金は力を持ったことはあるまい。


それが行き詰まったのだ。


様々な物やサービスの価値の再定義が始まる。その過程においてお金の価値が下がらなければならぬ。

下がらねば、環境も持たないし、格差はさらに広がる。


ここにきて、格差の本当の正体がわかった。


問題は、お金が価値を持ちすぎたことにあった。


金の価値を下げねば、この社会は持つまい。


これを変えられるのは、残念ながら政治だけだ。

貧乏な者(若者)ほど、ちゃんと選挙に行かなければいけない。


選挙に行ってる世代は、それほどの変化を望んではいない。