今日、人材募集の代理店の営業の女の子がやってきた。


既存のメディアでの募集は効果が無いので、来ても仕事はあげない。

最初からそういってある。


時々、遊びに来るのだが、今日は少し様子が違った。


意見をお聞きしたくて来ました。


なんと、あまりに営業成績が悪いので限界を感じているのだと。

(彼女が無能なのではない、求職の需要が急激に落ちているのだ。)


ぜんぜんダメ。こりゃあどうしようもない。と答えた。

しばらく、売上半分でも生きられるようにするよ。と続ける。


特に、派遣や人材募集の会社にとっては、試練の時。

真っ先に切られる。


バブルの時とどうですか?

バブルの時より、徹底すると思うよ。世の中全て限界きてるもの。


でも、これ過ぎたら、世の中変わると思うよ。

そして、30代より、君達20代のほうが、先に変われる。

リーズナブルな、新しい価値観で生きる時代が来る。

それは、今よりずっと良い社会のはず。


そう付け加えた。

だが、そのためには超え無ければならないハードルがある。

自分に何が出来るか試行錯誤しなければならない。

自分で自分を見つめるプロセス。


看護士とかどうでしょう。


僕に聞かないでくれ、僕は君のことは知らないし、面倒見るきもない。

自分に何が出来るか、考えて自分で行動する以外なし。


まあ酷なはなしなのだが、


そもそも、自分を自分の属する集団と切り離して考える術を日本人はもっていない。

切り離せないのだから、他の影響を受けやすい(流されやすい)のは、日本人の特徴でもある。

自分の属する集団が、信用できないものになっていても、それと切り離して考える事がそもそも出来ない。

一体化してしまうのだ。


キリスト教の世界では、個と組織は、相対するものとして理解される。

ユダやペテロは、集団の中でイエスを貶めるが、個人に戻った時に自責の念に駆られ自殺したり、嗚咽したりする。そんなことが聖書に書いてある。


集団はろくな事をしないものだとの共通認識がもともとある。

(かつての暴走族が集団だと悪いやつらだが、個別に会うと案外言い奴だったりするのといっしょ。)

この辺が、日本人からみると2枚舌に見える。ダブルスタンダード。

転じて、組織は悪いことをしても良いみたいな変なことに欧米もなっている。

(個人で愛を語って、組織で平気で搾取もする。)


簡単に言えば、

個と集団を切り離して考えるのがキリスト教社会で、

集団あっての個と考えるのが日本人だ。


結果、日本人は、自分の役割が不明瞭となる。責任の所在も不明瞭だ。

個性は、半分も生かされない。


それは、上手くいってるうちは、上手くいく。個と集団が一体となっているから効率は良い。

けれど、食の安全を脅かす最近の事件に象徴されるように、集団が信用ならなくなったのが日本の状況だ。

暴走族の暴走と同じことが社会全体におきている。


組織が信用なら無くなったなら、一度、個に戻るのが良い。

キリスト教的考えが良いとは、思わないが、今は、組織がおかしなことになっている非常事態だ。

非常事態を乗り越える方策として、それぞれが、自分と社会の関わり方を見つめなおす以外にこの状態は立ち直らないと僕には思えるのだ。

個のモラルが回復すれば、もともと日本人が持つ集団の特性は、また有利に働くはず。


20代は、そうなれるはず。先に気付けるはず。

(30代は?微妙。)


看護師の仕事は、私の性質に向いていると思う。


そう彼女は続けた。

大賛成だ。あとは自分で決めて行動するだけ。

看護師は何歳からでもなれる。


条件がいいからとなった医者や教師に僕はお世話になりたくない。

医者や教師、看護師に向いたひとにお世話になりたい。

そもそも、その職業に向いた人が、やってれば、こんなにモラルが下がることはなかったのだ。