人を説得するときに、功利的アプローチ(経済合理性の追求と言っても良い)をする。


「この方が得だよ。」

と説得するのが一番効果的だ。


道徳や精神論を論じたところで、総論賛成、各論反対の答えが返ってくるのが落ちだ。


何で人を殺しちゃいけないか?の答えとして一番説得力のあるのは、人を殺すと損する だ。

不良の何がいけないのか?の答えとしては、不良は貧乏になる が正しい。 

子供に聞かれたら、そう答えたほうが、言う事を聞く。


道徳に沿って生きてくだけでは、ビジネス的な成功は得られない。

きっと、いい人で一生終わるのだろう。

会社を経営する立場では、道徳に従っているだけでは、あっという間に会社は潰れる。


総論は道徳に従い、各論は功利的なアプローチが必要だと思う。

目的は道徳に従い、手段は功利的と言っても良いかもしれない。


道徳や精神論に従い生きていける人は、強い人だ。けれど、そこに力は集まらない。

なぜなら、殆どの人間は功利的に行動する弱い存在だからだ。


道徳は、社会全体の利益を守るものだ。


けれど、ある程度の成功を収めた後では、

企業の目的を特定の個人や集団の利益に置いていると、何処かで必ず行き詰ることになる。

出る杭が打たれるのではない。


社会の利益と折り合わなくなるのだ。


自分の利益を優先する限界値を見抜く力が必要となる。

そこで、立ち止まる勇気や知恵が無ければ、あっという間に退場させられるのが、市場のルールだ。


自分の属する組織をその観点で眺めてみれば良い。

社会での立ち位置を。


僕の会社を返りみれば、いまのところ、社会での存在意味など、たいして有りはしない。

為替の取引のほんの一部のインフラの役割を果たすシステムを提供しているだけだ。

社員の給料を稼ぐ為に、博打(FX証拠金取引)の片棒を担いでいるが、こんなものは長続きはしない。

金額が小さいから、社会から見逃してもらっているだけだ。


実需に即した、為替の現物・先物取引のインフラシステムの提供が僕の会社の本来の目的だ。

そこには、存在意味がある。それを認めてもらえれば、会社が大きくなる資格が出来る。


金融は、社会に貢献出来るものだけ残れば良いし、そのうちそうなるのだろう。

メガバンクが今のまま残るとは考えづらい。投資銀行しかり。


退場すべきものが、早く居なくならねば、次が生まれない。

40、50代は、変化を望んでいない。逃げ切れればそれでよいのだ。


20、30代は、今のままでは逃げ切れない。

40、50代のいう事聞いていたら損をする。


それが、自分の親でもだ。


20、30代には、可能性がある。

会社に忠誠心がないことや物欲が弱くなっているのも、実は、良い傾向なのかもしれない。

20、30代は、いまこそ、政治に参加する必要がある。

今の政治は、君達の世代のために動いてはくれない。


社会貢献を無視した既得権益は強大だ。


功利的なアプローチとして若い人に提言する。

このままでは何も持たない。変わらねば大損をする。