自由でいいね。と言われる。
真美なりは、自由そうで怖いと言った。
そういわれると自由だとなにか不都合ですか?と問いたくなる。
真美なりは真美なりなのだが、真美なりなりにそこそこ考えているみたい。
(呼び名になりを付けると文章が変になるなり。)
この人の首に縄を付けられるかどうか考えているのか?
まあ、考えていただけるだけで光栄だが。
もしくは、自由な人=浮気者という発想か?
言い方を変えれば、付き合う=全部私のものじゃなきゃいや的な発想か?
まずは、私はこの人に何が出来るかを考えるのが良い恋愛ではないかい?
ギブ&テイクは恋愛でも基本でしょう。
自己都合を愛や常識という言葉に置き換えての、やらずボッタクリはいけません。
地獄行き決定です。
その形態はいろいろあれど、やはり男女間でも、バランス均等でなければいけないと思う。
真美なりからしてもらうことと言えば、あれとかあれとかあれしかないっしょ。
バランス均等と平等は違います。
最近は、合コンでも、割り勘にするのが常識らしい。おっちゃんには、まったく不可解だ。
女子に何かサービスすれば、女子から別のサービスを受ける権利を得るのだ。
おっちゃんが女子に奢るという行為は、ギブ&テイクの最初のアクションを自ら起したにすぎない。
まあ、女の債務不履行は、日常茶飯事だが・・・
(会社の経理の女子は、合コン前に美容院だのネイルサロンだの投資がかかってるのだから、割り勘は割りにあわないと文句を言っていた。)
そういえば、女医が、
今度は私が何できるか考え中と言ってたなあ。
良い女だなー。やっぱり。
我が社のある恐妻家の役員は、物凄く不自由だ。
家庭内経済も、1000万以上の収入を得ながら、奥様に完全に支配されている。
月収100万円あるなら、せめて25万くらい旦那にあげろと言いたい。
奥様は、確実に債務不履行だろう。彼は確実に稼ぎの良い方に属する。
我が社の役員は、僕を含め5人いる。
僕以外は、全員、所帯持ち、専業主婦、そして子供ありだ。
恐妻家の役員以外は、お金の管理は旦那がしている。
つまり、恐妻家の役員以外の役員は奥様に信頼されているということだ。
会社の資金繰りが厳しくて、経費の精算が遅れた時など、恐妻家の役員だけが細かく言ってくる。
本当は、彼が言ってるのではなく、後ろの奥様が言っているのだ。
あんたなんかと結婚してあげたのだから、お金持ってくるのが当たり前でしょぐらいのこと言われていると思う。
最近は娘がそれに同調しているらしい。
僕的にはイラッとくるが、ある意味、奥様は正しい部分もある。彼にお金の管理は出来ないという面で。
彼は、まるで鵜飼の鵜だ。折角取ってきた魚も、鵜匠によって必ず吐かされる。
(彼の名誉のために付け加えると夢を語らせると彼の右に出るものは無い。これはこれで会社には不可欠。)
他の役員達は、自己管理がとても上手い。だから奥様方も、彼らには首に紐つけとく必要が無い。
これが自由の本質でしょう。
自己管理が出来るものだけに自由は許される。
若者に自由が許されない理由は、恐妻家役員と同様に自己管理が出来ないと思われているからだ。
自由の裏には、必ず信頼関係が存在する。
恐妻家役員以外の役員は、家庭内バランスがある程度、上手く取れているのだ。
だからある程度の自由が許されている。
僕が社員に与えている自由も、あくまで自己管理できた上での大人の自由だ。
けっして無秩序、無軌道ではない。
そう考えると、最近の倫理崩壊の原因の一端が見えてきた。
個人と社会のバランスが崩壊してるのだ。
皆、要求ばかりして、貢献してないのだ。やらずぼったくり。
ほんとは貢献してなきゃ要求もできないのにね。
そう、対会社であれば、まず自分が会社に何が貢献出来るかを考える。
そう、対社会であれば、まず自分が社会に何が貢献出来るかを考える。
そう、対彼氏であれば、まず自分が彼氏に何が貢献出来るかを考える。
Pay Forwardの精神を普及させよう。
そう、僕に何が出来るか考えてみてくれ、真美なりよ。
(結局、最後はそれかよ!!)