僕はサルサダンサーです。
新しく出会った人には、そう言う。願望も込めてそう言ってる。
正確には、サルサな生き方に憧れるコンピュータソフトの開発会社の社長なのだが、
かつてサーフィンをしてる友人が、自分を称してサーファーと呼んでいた感じ。
大学時代、僕はサーファーだという奴が大挙して現れた。
人に自分を称するときに、大学生と言わずにサーファーだという奴ら。
かくゆう僕も、サーファーを気取っていた。
ファラのフレアパンツをはいて、何故かイタリアブランドのポロシャツ着てね。
何故か、車は黄色で屋根にはボード・スキー板兼用のキャリアが付けられていた。
今では死語だが、岡サーファーってやつだ。
思い出すだけで恥ずかしい。
でも、自分をサーファーと呼ぶのにはなにか抵抗があった。
サーファーと自認するやつに、
お前がサーファーなら俺はテニサー(正確にはテニスプレイヤーだが)か?
とか
お前は、サーフィンの好きな大学生だろ。
とか
悪態をついたものだ。
その僕が、今、ここでサルサダンサーと名乗る理由。
サーファーを名乗る大勢の中に、ほんとに就職せず、海辺に住み、サーフィンを中心の生活を送る奴がいた。
そう、奴はサーファーだ。
僕の最近の生活の比重が一番かかっているのがサルサなのだ。
週に3日か4日は、踊っている。
もはや、習い事のレベルではない。
さらに目指す生き方もサルサなのだ。
だからサルサダンサーと名乗りたい。
サルサな生き方とは、
’~したら、こうしよう’では無い。
’今出来ることは今する’だ。
弊害は刹那的に生きてしまうことだが、そこのところは分別ある大人として勘弁いただきたい。
この罰当たり人生の教訓では、あれこれ想像や心配しても、結果はあまり変わらないってことだ。
~したらは、実は言い訳なんじゃないか。とおもうのだ。
躊躇している時間がもったいない。
人間変われる。過去を消すことは出来ないが、肉体も変われば考え方も変われる。
もしかしたら、ホントの自分はこちらだったのかも知れないが。
分子レベルでは、人間の体は、1年で全て入れ替わるのだそうだ。