「結局、2人とも同じになっちゃったね。」

姉が電話の向こうで少し声を震わせながらそういった。

ご愁傷様などという、お決まりの言葉など要らない。

ただ電話をかけて気にかけていることが伝わるだけで良い。


思ったよりも、ずっと早く義理の兄は逝ってしまった。

入院から僅か2日。

入院を嫌がった義理の兄は、やはり2度と家に帰れぬことを感じていたのだろう。

それにしても、僅か3日前までは、自分で自分のことは全て出来る状態だった。

人の命は、やはり思ったよりも簡単に消えて無くなる。


何か手伝うことはあるか?と姉に聞いた。

昨日の今日なのだが、既に大勢の人が手伝いに来てくれているから大丈夫という。

あまり出番は無いようだ。

妻を亡くした時の全て僕一人でやらねばならなかった状況を思い出した。

追い立てられるように迫られる段取りに世の無常を感じた。

大学生の甥に、迷ったら僕に聞くように云い。姉を頼むとお願いした。


医者の不養生と云うが、兄は、臨床検査技師という人の病気を発見する仕事をしながら、自分の健康には無頓着だった。

聞けば、病気の予兆は随分とあったらしい。

家族の忠告も聞かず、生活を改めることも無しに手遅れとなってしまった。

人の意見を聞かない、自分勝手だと、近年、家族の苦情は絶えることはなかった。


4、5年前から、姉は離婚したいといっていた。

夫婦仲は冷めていたのだ。

命を奪ったアルコールは、たぶん兄の精神安定剤だったのだろう。


2人の子供は成人し、バブル時代に購入してババを引いたマンションの借金も、前年に亡くなった彼の父親の財産で完済した。妻から三下り半を突きつけられた義理の兄が、何を生きる糧として生活していたか、僕には想像できない。


つい先日、姉は、義理の兄から、初めて母の日のプレゼントを貰ったらしい。

驚いたと姉は云っていた。

母は、兄が少しは悪いと反省したのだろうという。


不思議なことに亡くなると全ての不平不満が帳消しになる。


肝臓がダメになると色んなところがダメになって行くらしい。

腎臓も上手く機能しなくなる。


昨日病院側から、腎臓透析をしますか?と姉は聞かれた。

姉は本人に聞いてくださいと答えた。

今まで、兄が、全て自分で決めてきたからだろう。


義理の兄は、透析を拒否した。

覚悟が出来ていたのかは分らない。


最後の決断だった。


兄の死が、魂の休息でありますように。