「あなたの回りの女性って、皆、訳有りね。」


六本木美女店の女性に言われる。


「うーん。しょうがないね僕が訳ありだから。」

「あなたと付き合うと私も訳ありになっちゃう。」

「そうだね。」

...


でも、もう十分君も訳ありだよと心の中でつぶやく。


とっても訳あり(ここで書けないくらいの)の女性は、付き合いだしてしばらくして、ある時点からどーんとその訳をさらしてくる。

まるで、僕が何処まで耐えられるか、耐久テストされてるみたいな事になる。

精神的にも、経済的にも。

もちろん、耐久テスト不合格なことも多々ある。

不思議な事に、これ以上無理と云うところで、彼女らは引いて行く。何も云わずに。

傍から見れば僕が騙されているように見える場合もあるが、皆去り際は案外潔い。

そこに彼女たちの善意を感じる。使い捨てなのかもしれないけどね。


特別な人(人と違う人)には、その人たる存在理由(訳)が必ずある。

仕事と同じ、ハイリスク、ハイリターンの原則は恋愛にも存在する。


だから、訳あり上等。

文頭の言葉は僕への誉め言葉としよう。


程度の差こそあれ、もちろん、訳は誰にもある。

表面的に付き合っていると分らないが、プライベートな話をするほど仲良くなれば、結局何かしら背負っている。

若い人は、問題を棚に上げとくのが上手い。

上手いというより、時間的な余裕があるだけのことだ。


一人っ子ならば、親の問題。

生活コストの問題。

自分のプライドのやり場の問題。

何より未来への不安。


年齢を重ねるほど問題は深刻度を増す。


一番問題なのは、そのまま棚に上げておくことだ。何も解決しない。

ほっておくと結局、苦情の多い人生となる。

訳を自分で消化できないなら、オープンにする必要がある。

結婚後にさらす行為は、詐欺と一緒。


僕の知っている訳ありの女性は、そもそも、問題に向き合わねば生きていけないのだ。

意志を持って向き合っているかどうかは別として、戦う姿勢が見える。

その事実だけで、僕は感動さえ覚える。

薬でごまかしたりせずに自力で進む力があるなら、背中も押せるし、栄養補給もしようもある。


同じ訳有りでも、

考えること、自ら行動することを忘れてしまった場合は、残念ながら無視させていただく。

無駄なことはしたくはない。

優しい言葉をかけることもしない。

(無責任に優しい言葉を発する人が最も嫌い。)


で、

訳あり上等の女性、急募。

(結局、最後はそれかい!!)