自戒を込めて。


最近、裁判に何かと縁がある。


裁判とは、法に照らしあわせ、物事の善悪を決めることである。

そこにいくと自ずとその法が作られた原理原則を意識する事となる。

普段何気なく生活しているといつの間にか忘れてしまう...原理原則。


もともと上限金利が18%/年と定める法律があった。

ところが数十年もの間、サラ金の30%近い金利が放置されてきた。

金貸しの拠り所は、出資法。

貸し金を出資と都合よく解釈してきたのだ。

それが、原理原則(金利は20%まで)に反しているにも関わらず、いつの間にか世の中に定着し、見過ごされてきたのだ。


一昨年の最高裁の判決で、

借金の金利は20%(20%10万以下、18%10万~100万、15%100万~)以上取ってはなりませんという法に定められた原理原則が確認された。


みんながやってるから良いだろう的な考え(この場合は金融機関)は、時に酷いしっぺ返しを食らう。



実際、裁判がおかしな方に流れそうになった時は、原理原則を持ち出すのが良い。


現実に、僕がやっている精神科の医師との裁判でも、この原理原則の確認は非常に大切な役割を果たしている。


その原理原則とは、

・診察をしないで、薬を処方してはならない。

・医師としての患者への注意義務違反。

・薬の副作用の告知義務。

などである。


馴れ合いで診察なしで薬を処方する医者など山ほどいる。

皆やってるからと言って、許されはしない。


かのラ○○○アの件も、守るべき原理原則をはずしたところに彼らの凋落の原因があると思う。

表面上の法を守って、その法の成立の根拠たる原理原則を守っていなかったのだ。

法を都合よく解釈し、日本の市場の未熟さを突いて、壮大な錬金術を展開した。

結果、現在の法で捌ける最大限の贖罪を余儀なくされたのだ。


(別の次元で、世の中に一石を投じた点はあるとは思うが。)


法律は、呼んで字の如くで解釈するものではない。行間に潜む、根拠たる原理原則を含めて守らねばならない。


最近、その生き残りと仕事で接点が出来た。


彼らは、いまだ原理原則を守っていない。

法律、会社、著作権など、その原理原則を守らず、自己に都合よく解釈し、

「頭良いだろ俺達。」とうそぶいている。


そのうち、また捕まる。