ハワイを訪れるたびに行きたい場所がある。オアフ島のシンボルとも言えるダイアモンドヘッドだ。ワイキキの街並みを見下ろし、その先に広がる青い太平洋を一望できるこの火山丘は、多くの旅行者を魅了していて、私もその一人だ。
ダイアモンドヘッドへの入山予約が6時45分に取れて、クヒオ通りを6時前のバスに乗り、入り口についた時には柔らかい光の6時20分。登り始めると、目覚めて元気いっぱいになった太陽は容赦がない。まぶしい日差しが肩に降り注ぎ、坂道を進むごとに額には汗がにじんでくる。それでも不思議と苦しさは感じなかった。なぜなら、時折吹き抜ける風がとても心地よかったからだ。
その風は一定ではない。強く吹いて体を包み込んだかと思えば、ふっとやわらかく弱まり、また次の瞬間には木々の葉を揺らして通り過ぎていく。その強弱がまるで自然のリズムを刻んでいるようで、私はその呼吸に合わせるように歩みを進めた。
途中、少し疲れを感じたので休憩を取ることにした。ちょうどよい大きさの石があり、そこへ腰を下ろす。見上げれば真っ青な空が広がり、背の高い草の間からワイキキのホテル街と海が輝いている。観光客たちの楽しそうな声が遠くから聞こえ、鳥の鳴き声がその合間を縫うように響いていた。
そして、そのときだった。
視界の端で何かが動いた気がした。
最初は小動物かと思った。しかし、よく見ると違う。数十センチぐらいの、どこか人のような姿をしている。私は目を凝らした。
そこにいたのは、ハワイの伝説に登場する小人族、メネフネだった。
もちろん最初は信じられなかった。メネフネはハワイに古くから伝わる伝説の存在で、一夜にして橋や神殿を造る優れた職人だと言われている。僕は子供のころ「誰も知らない小さな国」に出てくる小人の「コロボックル」と会いたい!って、思っていた。ここハワイにきて、多分友達だろうメネフネに会える夢がかなうなんて想像もしていなかったわけで、今も目の前に草の間から海のほうをのぞき込んでいるメネフネの後姿は、目をつぶって、一呼吸おいて開けてみてもそのままの姿を見せてくれている。でももう、目をつぶったら見えなくなっちゃいやなので、見続けていた。まさか実際に目の前に現れるなんて。
私は周囲を見回した。
観光客たちは変わらず写真を撮り、楽しそうに話をしている。誰一人として驚いた様子はない。不思議な感じだったが、その姿が見えているのは私だけのようである。
メネフネは私の視線に気づくと、いたずらっぽい笑みを浮かべたように見えた。そして、小さく手を振りながらこちらへ歩いてきた。怖さはまったく感じなかった。不思議と昔からの友人に再会したような親しみを覚えたのである。また、メネフネも僕を友達だと思ってくれている確信があった。
言葉を交わすことはなかった。僕の横に座ったメネフネは時々視線を上げ、僕を見つめると、最初に見せたいたずらっぽい笑みを見せている。落ち着いてきた僕も、笑みを返すことができる。とても大事なうれしい時間だった。
しばらく休憩した後、私は再び山頂を目指して歩き始めた。
するとメネフネも当然のように隣を歩き出した。
言葉を交わしたわけではない。しかし、その存在は不思議なほど自然だった。急な階段では先に登って振り返り、狭いトンネルではこちらを待ちながら先導してくれる。まるでダイアモンドヘッドの案内人であるかのようだった。
歩きながら私は周囲の景色を改めて眺めた。
青い空。
どこまでも続く海。
力強く根を張る植物たち。
岩肌をなでる風。
普段なら見過ごしてしまうようなもの一つひとつが、まるで新しい意味を持って目に映る。
メネフネは何も語らない。それでも、「よく見てごらん」と言われているような気がした。そして宿っているマナを「感じてごらん」と。
旅先では有名な景色や観光名所ばかりに目が向きがちだ。しかし、本当の魅力はその土地の風や匂い、光の色、人々の暮らしにあるのかもしれない。そしてハワイには、それらを大切にする精神が今も息づいている。
やがて山頂へたどり着いた。
眼下にはワイキキの街並みが広がり、その向こうには太平洋が太陽の光を反射しながら果てしなく続いている。私はその風景を心に刻みながら、隣を見た。
メネフネも同じ方向を眺めていた。
彼は満足そうにうなずくと、ゆっくりと立ち上がった。Shakaサインをしながらあの「いたずらっぽい笑み」を向け、次の瞬間には、その小さな姿は陽光と風の中へ溶け込むように消えていた。
夢だったのだろうか。
それとも本当に伝説の存在だったのだろうか。
今となっては分からない。
けれど一つだけ確かなことがある。
あの日のダイアモンドヘッドで感じた風の心地よさ、海の輝き、空の青さ。そしてハワイという土地が持つ温かさ。それらを誰よりも近くで教えてくれたのは、あの小さなメネフネだった。
山頂からの景色以上に心に残ったのは、ハワイの自然と伝説が一つになったようなあの時間である。もし再びダイアモンドヘッドを訪れる機会があったなら、私はきっと同じ場所で足を止めるだろう。
そして、あの休憩にちょうどよい石に腰掛けながら、もう一度小さな案内人が姿を見せてくれるのを、そっと待ってみたいと思う。