心に響いた言葉たちの記憶 | フィーリングメッセージ

フィーリングメッセージ

伝えたいメッセージを紹介します

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あの頃はよかった。 

そう思うとしたら、 

自分がもう大人になってしまったからなのだろう。 

記憶というのはいつの間にか 

懐かしくいい匂いのするものに

つくりかえられてしまう。 

けれど、

本当は、

よかったはずのあの頃には、 

ただのぼうっとしたひとりのこどもが

いるだけなのだ。 














あの頃にはなにも知らなかった。 

なにもわかっていなかった。 

だからこそ

あきれるほど無防備に勇敢でいられたし、 

好きなだけ臆病で孤独でいられた。 

くだらないものを大切にして、 

大切なものを無造作にあつかった。 
















あの頃出会った人たちを

何人思い出すことができるだろう。 

ともだちと呼んでいた人たちは、

今は何をしているのか。 

行方さえ知らない人も。 

たとえ再び出会えたとしても、 

もうあの頃の自分達ではない。 

あれはあの頃の私であり、 

あの人だから起こりえたことだったと、 

あの頃はまるで知らずにいた。 






























大人は失ったものと出会って泣く。 



































もうあれは失われてしまったものだと

思い知って泣くのである。 

その時、

記憶は

ただ懐かしくていい匂いのするもの

ではなくなる。 

なまなましくよみがえった時の記憶は、 

そんな安心で安全なものではない。 

ぼうっとしたひとりのこどもが、 

満身創痍になりながら、

「おまえはだれだ」

と聞いてくる。 

おまえはわたしではなかったのか。 

やがて、

ぼうっとしたひとりのこどもが死んで、 

目が開き、 

ことばがはじまり、 

わたしは歩くことを覚えて、 

いま、ここにいる。 
































おまえは私ではなかったか。 


































なくしたものに切り裂かれて、 

おとなは身もだえして泣くのだ 


そうあれがわたしだったと。 

ひとりのこどもを抱き締める。 

















~ダ・ヴィンチ 2004 February N0.118/文:瀧晴巳~
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これは真実ではないと思い込み、 

では一体私は何を持って真実となすのか 

見極めることだけに焦点を当てた結果 

その苦しみでさえも愛すべきものであると教えられた…

まさかこの苦しみが愛すべきものだったとは…

信じられない…

まさか苦しみが愛すべきものであるなんて…

生きるとはこんなにも奥が深く、愛すべきものだったのか? 





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昔snsに書いた記事をこちらでもUPしてみました(・ω・)ノ

何か、懐かしい…それでもリアルに自分の内面を感じることができる描写に心が動きます(・ω・)ノ

今朝見た夢がまさに、そんな気持ちを感じさせるような夢だったので、そんな自分も愛することが出来たらと感じることが出来ました(・ω・)ノ