今日は、再び
氷川神社へお参りにいって来ました。
兎に角、決めたことはやらないと
決められなかったことが浮かばれないと
そういう気持ちでした。
東武野田線で、
春日部で列車を乗り換える
ということもありましたが、
無事に到着しました。
10日の日に参拝させて頂いたままか
と思っていた所
江戸時代に建てられた建物に
沢山の支え木がしてありました。
あとは、摂社の宗像神社の池の近くには入れなくなっていて
常に警備員の人がせわしなく動き廻っていました。
本殿の前にある5本の大きな木は
相変わらずになにも変わっていませんで、
心地良い風とキラキラと太陽の光を葉に写して輝かせていました。
ここに椅子があったら
いつまでもここにいたいという気持ちになり、
ここには
不安も何もなく
多きな幹の持つ
安心感を感じられました。
もしかしたら、
こういう時でないと
大きな木々なの存在感を感じることは
ないかもしれません。
お参りが一通り済むと
前回と同じ処で食事をしました。
親子丼を頼みましたが、
美味かった。
一気に美味しさが
海苔の風味と共に
身体中に伝わって
幸せにしてくれました。
あんまり行った先で食べることがなかったもので、
食がこれほど幸せを運んでくれるものかと
感動の味でした。
帰りにふと
お祈りの内容が変わっている事に気づきました。
もしかして、神社というのは、
祈る側の意識を成長させてくれる場所なのでは、
それが開運なのでは?
と思いました。
先日、みちよさんのブログで
原子炉に祈りを込めて安定化させるというのに
参加させてもらいましたが、
(今は休止中)
ブログでいろんなアドバイスもあり、
最初とその後では祈りのイメージが
全然変わっている事に気づきました。
祈り続けることは、
イメージの成長を呼ぶのかもしれません。