全治3ヶ月と重症の母は、一般病棟に移った。
コロナ禍で面会は出来ないものの、看護師を通じて「だいぶ痛みがなくなったと伝えて欲しい」と言ったそうだ。食べるものは限られているだろうけれど、食事もできる。
ただ、体が不自由なことに変わりはなく、オムツの契約はしたと。
また、これで一段落と言っていいのか、退院までは病院から連絡があるまでは、こちらから何かすることはないと。
母と暮らしていた2番目の弟からの報告を受け、少しほっとしました。
そして、自分が動揺し、あれこれ考え、不安に感じ、自分が空回りしているだけだったこととを恥ずかしく思ったり。
すべて終わったわけではなく、これが始まり。
退院してから、大変な毎日になるのだろう。
ただ、今は、そのことを考えず、ほんの一瞬でも心安らかに暮らしていたいと思っています。
2番目の弟にお礼を言い、苦労を労った。
栄養のあるものを食べて、ゆっくり休んでくださいと。
故郷の母は、これからどんな生活が始まるのか、どんな苦労があるのか、わかっているだろう。
それでも、その自分の人生と闘っていくしかないのだ。
なぜ、母は、あの日、知人宅を訪れたのか。
知人宅で、何をしたのか。
それは、知人と本人にしかわからない。
どのような状況で、今回のことが起こったのかも。
本人から話してこなければ、この先、ワタシからは触れることはないと思う。
痛ましいことを、わざわざ思いださせることもないのだから。
人に言えない深い悲しみを背負いながら生きていくに違いない。
そう思った時、浜田省吾の「悲しみは雪のように」のフレーズを思いだした。
誰もが泣いている 涙を人には見せずに
今日、LINEで家族のグループを作った。
グループ名は、phoenix。
不死鳥のごとく蘇って欲しいという願いを込めて名付けた。
ワタシ達家族が暮らしていた故郷を象徴する言葉でもある。