先日ショッキングなニュースが飛び込んできた
俺が働いてる課の係長の奥さんが交通事故で亡くなったというのだ
1度も会ったことはないとはいえ、係長の心中を察すると言葉が出なかった
本当に死というものはどこに潜んでるか分からない
自転車で走行中左折してきたトラックに轢かれたということだった
俺もよくおばちゃんや子供が信号が青だからと左右を見ずに直進し、
左折のトラックに巻き込まれるんじゃないかとヒヤッとしたことが何度もある
もちろん青だから直進していいんだがこういう馬鹿が突っ込んでくる危険性があるわけだから、
やはり青でも常に周囲を確認する癖はつけておいたほうがいいだろう
俺は青で渡るとき左折右折の車とタイミングが重なったときは、
こいつは突っ込んでくるもんだと決め付けて必ず止まることにしてる
そしてドライバーを見て俺の存在に気づいてることを確認してから渡ることにしてる
こう書くと奥さんにも非があったかのような言い方だが、たとえこちらが正しくても、
事故にあっては元も子もないので渡る際は細心の注意が必要ということである
しかし事故の記事を見たがただのありふれた文章だった
普段なら気にも留めないニュースである
だがこれほどの悲惨な出来事が毎日当たり前のように起きてるのは恐ろしいことである
もちろん俺も毎日その日の当事者にエントリーされてるわけで他人事ではない
さてこの事故を受けて会社は1ヶ月の休みを想定し出勤シフトを変更した
1番大事なものを一瞬にして奪われた悲しみを乗り越えるにはそれぐらいは必要と思ったわけだ
俺は1ヶ月どころかもう仕事どころじゃないだろうと長期化することを予想していた
しかし係長は1週間で現場に復帰した
もちろん子供もおり生活していかなきゃいけないんだがこれはすごいと思った
もう何事もなかったかのように以前と変わりなく働いてるのだ
そんな姿を見てると逆にきつい
しかし世間では同じような境遇の人が大勢いる
その人たちもそれを乗り越え生きているわけだ
そう考えると人間の強さというものに感動すら覚える
もちろん乗り越えるという表現が適切かどうかは理解してる
ずっと悲しみを心に閉じ込めて生きていくのだと思う
家でじっとしていたら悲しみに押しつぶされそうになるから、
早く外に出て以前と変わらぬリズムで生活しようということかもしれない
しかし実際に普段通りの生活をしてるということはある程度乗り越えられたということだと思う
俺はこれが本当にすごいと思えるのだ
これを自分に当てはめたらどうだろうと考える
1週間程度で悲しみを表に一切出さず仕事ができるだろうか
病気で家族を失った方たちには不謹慎かもしれないが病気ならまだあきらめもつくかもしれない
しかしいわば殺されたのである
悲しみに怒りも加わってくるのだ
ましてや加害者がろくでもない奴だったらどうだろう
俺だったら殺すかもしれないと真剣に思う
もちろん家族もなく基本的に失うものは少ないからというのもあるだろう
今日も交通事故における業務上過失致死のニュースはただのニュースとして伝えられている
しかしそこには平穏な日常を一瞬にして奪われた人たちがいるのである
もちろん助かっても重い後遺症に悩まされる人も大勢いる
しかし加害者はたいした刑も受けず悠然と生き続け再びハンドルを握るだろう
なんともやり切れない現状である
もちろん交通事故はいつ自分や家族が加害者になるか分からない
今俺は車を持ってないが逆の立場になったら何ができるのかと考えると難しい
責任を取って死ぬ度胸もない
結局一般的な加害者と同じように生きるのだと思う
ならば偉そうに言うなと怒られるかもしれない
それは分かってるのだがとにかく腹が立つのである
俺は殺人犯は死刑にしろという考え方である
自分の家族が殺されたら犯人を殺そうとも思っている
家族を殺された人がなぜ復讐しないのか不思議に思ってるぐらいである
もちろん頭の中ではそう思っていてもいざその立場になったらできないのかもしれない
しかしそこまで言うなら自分の家族が加害者になったらどうするんだと突っ込まれるだろう
家族の両手両足を縛って被害者家族に好きにしてくださいと差し出すのか?
そんなことは多分できないだろう
それをできずにこういうことを言うのは身勝手なのだろうか
そう考えると今のところ自分の家族に被害者及び加害者がいないのは幸いである
しかし明日は我が身である
もちろん事故ではなく殺人に巻き込まれる可能性もある
自分の家族が顔写真と共に実名で報道されるなど想像がつかない
しかしその苦しみを味わった人が大勢いるのである
そしてみんなそれを乗り越え生きているのである
本当に人間は強いんだと改めて思う
そんな強い人たちと俺はいつも道ですれ違っているのかもしれない
俺が働いてる課の係長の奥さんが交通事故で亡くなったというのだ
1度も会ったことはないとはいえ、係長の心中を察すると言葉が出なかった
本当に死というものはどこに潜んでるか分からない
自転車で走行中左折してきたトラックに轢かれたということだった
俺もよくおばちゃんや子供が信号が青だからと左右を見ずに直進し、
左折のトラックに巻き込まれるんじゃないかとヒヤッとしたことが何度もある
もちろん青だから直進していいんだがこういう馬鹿が突っ込んでくる危険性があるわけだから、
やはり青でも常に周囲を確認する癖はつけておいたほうがいいだろう
俺は青で渡るとき左折右折の車とタイミングが重なったときは、
こいつは突っ込んでくるもんだと決め付けて必ず止まることにしてる
そしてドライバーを見て俺の存在に気づいてることを確認してから渡ることにしてる
こう書くと奥さんにも非があったかのような言い方だが、たとえこちらが正しくても、
事故にあっては元も子もないので渡る際は細心の注意が必要ということである
しかし事故の記事を見たがただのありふれた文章だった
普段なら気にも留めないニュースである
だがこれほどの悲惨な出来事が毎日当たり前のように起きてるのは恐ろしいことである
もちろん俺も毎日その日の当事者にエントリーされてるわけで他人事ではない
さてこの事故を受けて会社は1ヶ月の休みを想定し出勤シフトを変更した
1番大事なものを一瞬にして奪われた悲しみを乗り越えるにはそれぐらいは必要と思ったわけだ
俺は1ヶ月どころかもう仕事どころじゃないだろうと長期化することを予想していた
しかし係長は1週間で現場に復帰した
もちろん子供もおり生活していかなきゃいけないんだがこれはすごいと思った
もう何事もなかったかのように以前と変わりなく働いてるのだ
そんな姿を見てると逆にきつい
しかし世間では同じような境遇の人が大勢いる
その人たちもそれを乗り越え生きているわけだ
そう考えると人間の強さというものに感動すら覚える
もちろん乗り越えるという表現が適切かどうかは理解してる
ずっと悲しみを心に閉じ込めて生きていくのだと思う
家でじっとしていたら悲しみに押しつぶされそうになるから、
早く外に出て以前と変わらぬリズムで生活しようということかもしれない
しかし実際に普段通りの生活をしてるということはある程度乗り越えられたということだと思う
俺はこれが本当にすごいと思えるのだ
これを自分に当てはめたらどうだろうと考える
1週間程度で悲しみを表に一切出さず仕事ができるだろうか
病気で家族を失った方たちには不謹慎かもしれないが病気ならまだあきらめもつくかもしれない
しかしいわば殺されたのである
悲しみに怒りも加わってくるのだ
ましてや加害者がろくでもない奴だったらどうだろう
俺だったら殺すかもしれないと真剣に思う
もちろん家族もなく基本的に失うものは少ないからというのもあるだろう
今日も交通事故における業務上過失致死のニュースはただのニュースとして伝えられている
しかしそこには平穏な日常を一瞬にして奪われた人たちがいるのである
もちろん助かっても重い後遺症に悩まされる人も大勢いる
しかし加害者はたいした刑も受けず悠然と生き続け再びハンドルを握るだろう
なんともやり切れない現状である
もちろん交通事故はいつ自分や家族が加害者になるか分からない
今俺は車を持ってないが逆の立場になったら何ができるのかと考えると難しい
責任を取って死ぬ度胸もない
結局一般的な加害者と同じように生きるのだと思う
ならば偉そうに言うなと怒られるかもしれない
それは分かってるのだがとにかく腹が立つのである
俺は殺人犯は死刑にしろという考え方である
自分の家族が殺されたら犯人を殺そうとも思っている
家族を殺された人がなぜ復讐しないのか不思議に思ってるぐらいである
もちろん頭の中ではそう思っていてもいざその立場になったらできないのかもしれない
しかしそこまで言うなら自分の家族が加害者になったらどうするんだと突っ込まれるだろう
家族の両手両足を縛って被害者家族に好きにしてくださいと差し出すのか?
そんなことは多分できないだろう
それをできずにこういうことを言うのは身勝手なのだろうか
そう考えると今のところ自分の家族に被害者及び加害者がいないのは幸いである
しかし明日は我が身である
もちろん事故ではなく殺人に巻き込まれる可能性もある
自分の家族が顔写真と共に実名で報道されるなど想像がつかない
しかしその苦しみを味わった人が大勢いるのである
そしてみんなそれを乗り越え生きているのである
本当に人間は強いんだと改めて思う
そんな強い人たちと俺はいつも道ですれ違っているのかもしれない