石田三成の軌跡 | くまさんぽ

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FMとうみというラジオ局でパーソナリティしてます
映画や日本史が得意分野です♪
真田3代戦国歴史検定1級合格しました
ブログは完全趣味ってますヽ(´▽`)/

長浜市石田町へ行ってきました。

秀吉と出会った観音寺もありました。

 

10月15日㈯17時~[attention!]
担当は田中博文、通称{くま}です。
この番組では毎週《くまさんぽ》と称し、いろんな場所に訪れるコーナーがあります。
2016年は真田yearという事で、真田家に関係する場所を散歩してます。

本日の散歩はこちら→《石田三成の軌跡》
3週にわたって関ヶ原町を紹介してきました。石田三成陣跡も紹介しました。
本日は真田家とも特に関わりが多かった石田三成の生まれた場所に行ってみましょう。
石田三成は滋賀県長浜市石田町の生まれで、石田三成産湯の井戸なども残っています。


長浜市は琵琶湖のほとりにあって、秀吉が信長公から始めてもらった長浜城があります。ここは昔、今浜と言ったそうですが、ここに領地をもらった秀吉公が主君の【長】の字を付け、長浜という名前になり今に至ります。この長浜城から石田町まで6キロしか離れてません。車で10分くらいの距離です。


この石田町に観音寺というお寺があります。秀吉がこの寺を立ち寄った時に子供の三成に会ったそうです。喉が渇いた秀吉がお茶を欲しがると、三成は1杯目は飲みやすいぬるいお茶を、次第に熱いお茶にしていったとの言い伝えが残ります。

この時の銅像が長浜駅前にありますよ。相手の事を一番に考える三成という人をよく表してますよね。一発で三成を気に入り、部下にします。【主君からもらった給料は全て主君の為に使うべき】という信念を貫き、自分の城は財宝も無く質素だったそうです。【大一大万大吉】という旗からも人となりがわかります。これは一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれるという意味です。関ヶ原では徳川の敵だった為に、俗に悪いイメージの三成ですが、自分より主君や領民に尽くした素晴らしい人だったようで、いまでも石田町の人たちに愛されてるのがよくわかります。


石田町にはいろんなところに【三成生誕の地】との看板があり、

また石田会館という建物があって三成の生まれた時から亡くなるまでの功績が展示されてます。頭蓋骨の写真や頭蓋骨から復元された頭部も!石田会館のそばに産湯の井戸、そして石田家代々の墓も!

このお墓は徳川に遠慮して壊され地中に埋められたのを発掘整備し、石田一族の供養塔が建てられています。掃除も行き届いてます。
大河ドラマ【真田丸】の中では山本耕史さんが石田三成を熱演されてました。もう三成そのままに見えるようでした。関ヶ原であのまっすぐで厳格な石田三成公が勝っていたら、どんな世の中を作ってくれたんだろう?興味は尽きません。

関ヶ原の戦いがおこなわれた後、光成の居城《佐和山城》にたてこもる、光成の父や兄達が攻められて落城します。


三成公の悔しさも背負って、大阪の陣で真田幸村は戦います。

お楽しみに!!

本日のくまさんぽ、【石田三成生誕の地】でした。