いい音と“気”の関係


今回は音について。歌で言えば声なわけですが、いい音(声)って何でしょう?

物理的に言うと、楽器を無駄なく100%鳴らすという事だと思いますが、人が聴いてその音に感動して元気づけられたり、涙を流して癒されたりと、感情の生き物である人間に何らかの心理的作用を及ぼす事が出来るのが、いい音の定義ではないでしょうか?

音は音楽と切り離して考えられない、と思いますが、ピアニストや歌手、オーケストラなど楽器や編成を問わず、まだ音楽になっていない最初の音、あるいは音の鳴る前で既に感動させられている、という経験は誰でもあるはずです。

それは、音楽の始まる前からすでに音楽は始まっている、などという軽い発言では済まされない神秘的な要素を含んでいます。

例えばピアノで艶のあるいい音を出そうとした場合、力任せに弾くのではなく、音が響板から明るく響く事をイメージして弾くわけですが(現代のスタインウェイより、プレイエルやエラールなどの方がイメージしやすいのでしょうが…)、それだけでは艶のある音にはならないわけです。

そこで大事になってくるのが、“気”だと思うわけです。私、別にそういう事に凝ってるとか、何かを信奉してるとかでは全然ないです。

ですが実感として、“気”を注入しなくては艶は出ません。勿論耳がいいのは大前提ですが、艶ばかりでは、音楽も単調になるし、身がもちません。達人はその辺りのバランスが絶妙です。(この事は以前書いた即興力ともだいぶ関係していると思います。)

では、その“気”を注入するにはどうするか。

人によりイメージはいろいろだと思いますが、オペラ歌手的に言えば、アクートのイメージだと思いますが、頭の裏側からビームを出すようなイメージ(なんかウルトラマンみたい…)、あるいは眉間に皺を寄せるとか、要はボーッとしてないって事だと思います。

例えばピアノのホロヴィッツ、テノールのマリオ・デル・モナコや指揮者のムラヴィンスキーなど、あんなに研ぎ澄まされ、集中した音、声、サウンドはどうひっくり返ったって真似できません。そりゃ技術から何から、全てが違うのは当然ですが、何といっても、“気”が違うのです。

指揮者の場合、自分で音を出してるわけではないので、より間接的な仕込みが必要でしょうが、オーケストラの楽員を誘導して“気”を引き出すという意味では、同じではないでしょうか。

以前、ジャズの山下洋輔さんと、フリージャズのセシル・テイラーのデュオを聴いた事がありますが、まるでボクシングの試合の様でした。

ハッキリ言って、音楽とか何やってるか、サッパリわからなかったです。ですがそこには、“気”の流れ(波動のようなモノ)の応酬が確かに存在し、音は滅茶苦茶(失礼m(__)m)でも、感動するんですよ‼

山下洋輔さんは、僕が言うまでもなく、ただのジャズミュージシャンではない、非常に懐の深く幅広い音楽観を体現されている方ですが、あの演奏を聴いた後、結局どんなスタイルかなんて事より、“気”の方が大切で、音楽とは、とどのつまり、“気”の流れを聴いているんだ、という思いに至りました。

皆さん、いい音を出すために一音入魂‼

(禅の極意と一緒ですね。😄)


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