いつもお読みいただき、ありがとうございます。

今日は普段レッスンしていていつも感じる事を書きます。
ピアノの公開レッスンなどではほとんどの場合手や身体の使い方についてばかりで、和音の事などについて言われた事がないというケースが多いようです。言われてみれば自分もそうでした。

レッスンの中でハーモニーについて言うようになったのは、ジャズをやり始めた頃からでしょうか。それまでは大体が作曲の先生が分析と称して、和音記号や何度の和音とか机の上での講義がほとんどでした。

今、冷静に考えてみて和音分析などを演奏に直結して教えるにはかなりの経験と鋭い音感(いろいろ聴く事で培った)が必要不可欠だと感じます。なまじの作曲家では当然歯が立ちません。なまじの演奏家がたいした曲作れないのと同じように。餅は餅屋ですね。

それを実践しているのが、優れた指揮者や演奏家、教師です。聴くところによると、優れた指揮者ほど、オーケストラに指示する事は、「そこ強く」とか「アクセントつけて」等、事務的な事しか言わないそうです。それはそうですよね。オーケストラのメンバーはアンサンブルのプロ集団。変な抽象的な事しか言わなかったら「???」と馬鹿にされるそうです。

指揮者は、この関節を動かしたらこういう動きになってダイナミックに見える、というような科学的思考で自分の手足であるオーケストラのメンバーに指令を出しているのです。ハーモニー感でさえ強弱を使って指示しているのです。

ピアノの場合も全く同じで、弾く本人が指令を出すわけですが、弾く人が未熟な場合、どういう指令を出すべきか教えるのが先生であり、それがレッスンという形なわけですね。

ですが実際のところ、巷で行われているピアノの公開レッスンなどでは先ほどのように身体の使い方やスピリチュアルな事ばかりについてのレッスンがほとんどではないでしょうか

「この和音よりこっちの和音の方が緊張しているからこっちを強く」とか、「ここはこういう強弱をつけないとうねりが生まれない」などは当たり前に言うべき科学だと思いますが、どうもそういうレッスンはマイノリティなようです。

たしかにそういうのは職人的で、理系の人には面白いかもしれませんが、文系の人にはつまらないかもしれませんね(笑)

ですがここを避けては演奏は絶対に良くなりません。だって身体で言えばその関節を使わなければ、手は動かないんですから。そしてその関節の使い方は音楽と直結していて、こういう風に聴かせたいからここにアクセントをつける、それにはこういう腕の動きになる、というプロセスが自然なプロセス。脱力とかいって目的もなく力を抜いても意味がない。これはジャズなども同じでジャンル問わず音楽は全てそうです。

とにかく、理系的だろうが文系的だろうが、そこに強弱を付けなければ絶対にダイナミックに聴こえないという事。仮にスピリチュアルなレッスンだけでダイナミックに聴こえるように弾けたとしても、結果は必ず強弱が付いているはずです。

レッスンの内容を聞けば、それが適切な事を言っているかどうか一目瞭然という事ですね。


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