マンガで読む般若心経  240

桑田二郎 廣済堂文庫から

 

人間は腹を立てた分だけ、まちがいなく不幸になる!

その“カルマ”は、心と、ことばと、行為から

生れてくるのである。

 

すなわち「正命しょうみょう」は、

正業しょうぎょう・正語しょうご・正思惟しょうしゆいへとつながっている!

 

逆に云えば、正思惟・正語・正業によって

正命がなり立つということだ。

 

ここで、もう一度八正道の「正」の意味を思いだしてごらん。

この「正」は“正しくあれ”と云う以前に

“まちがっているよ”というお釈迦さまの呼びかけだ。

 

 

夢の中の父と母へ

 

久しぶりに夢の中の父と母に話そう

ずいぶん暢気のんきな気分になって

働けるようになったぞ

あなた方の選んだ嫁さんとは別れたが

それほど寂しい気もしない

あの女ひとは時々金に困ることもあるようだが、

なんとか生きる道筋を見つけるだろう

時には、まだ生活できない私の息子の

夢にあらわれて助けてやってくれ

俺の体の方は順調で

ときどき下腹がぽっくりふくらんで

苦しいこともあるが

医者は、手術をする気になったら、またおいでと、

それより、この先何年生きることになるのだろう

死んだあなた方もいつまでそちらにいるかわからない

いずれまた、新しい人生をやり直すのだろう

こちらは息子のためにもう少し頑張ってみるつもりだ

今はまだ

寂しい道のりを独りで歩きながらでも

 

 

An eon ago9

   ロストボーイ2

 

私の喋り方は不明瞭である。中学生のとき、自分が喋っているのを録音で聞いたことがある。レコードの回転が遅くなった時のように鈍のろく口がまともに動いていないように聞こえる。「おまえの喋り方はとろい」と言われた。口をきちんと開かないでゆっくり喋っているようだ。この頃から、普通のお喋りをすることができなくなってきた。自分の喋り方が何故このようになったのか、原因はわからない。だんだん人と話すことが苦痛になってきた。

そのうえ、大学生のときに自分が宇宙人のように醜い姿態であることを発見したのであり、自分は普通の人間ではないと思うようになった。人に笑われないように、人にできるだけ顔を合わせないように過ごさなければならない。

さて、如何に生きるべきか。時々痛切な孤独感に捉われ、完全に普通の社会人になることは諦めなければならない。社会改造のために政治活動することも自分にはふさわしくない。このようなわけで学門を捨てることにした。私は大学の事務局に退学したいと相談した。若い事務官は時々バスで顔を見る人である。事務官は大学紛争のために退学したがっていると解釈し、すぐに結論をだすのではなく、しばらく考えるように言ってくれた。自分が宇宙人のように醜いのであれば、文学のロマンティシズムなど笑止の沙汰だ。女性と付き合うことも一生あるまい。文学とはおさらばして実学を学ぶことにしよう。実学ということであれば経済学ということになる。卑怯者として、金儲けのことを考えながら生きていこう。私は転部することにした。

大学の卒業式の日、最小限の単位を取ったつもりだが、自分の卒業証書が用意されているのか確信出来なかった。教室で卒業証書が渡される時、いつまでも名前が呼ばれなかったが、卒業できようができまいが大学はもうやめだと思っていた時、最後に名前が呼ばれた。

 

 

マンガで読む般若心経  239

桑田二郎 廣済堂文庫から 

 

現実の問題として、肉体の健康は

正しい食べ物と心の状態によって決ってゆく。

 

そして、健康は運命の良し悪しに迄つながっている!

そうした事に意識をむけねばならないのは当然のことだ。

 

ましてや、「低我」の意識が

生命の主人公となっているうちは

肉体の状態によって、感情が極端に左右されてしまう。

 

肉体が「苦」の状態にある時は、

何でもない事に迄、腹が立ってしまうものなので~~す。

 

   腐葉土の中

 

虫も その足で言葉を書くという

腐葉土に眠る大きな幼虫は

今は眠っているが、やがてかぶと虫の姿に変わり

虫好きの子供たちの夢の中に入る

姿は変わっても その魂は引き継がれると

誰かが、人間の生まれ変わりに例えていた

腐葉土に眠る虫よ

おまえ達の知恵はどこから来るのか

おまえたちの夢はどんな夢

おまえたちが手足を動かすとき

その手足の間を通る時の流れは

お前たちの知恵ではどんな風に感じるのか

やがて奇妙に感じられる温かみを感じるとき

お前たちは動きだし

やがて渾身のちからで姿を変え

生れ変わる

奇妙な生き物たちよ

その知恵はどこで手に入れたのか

やがてお前たちは、子供の夢の中にも入るではないか

その足で、草の合間や地面に文字を書き

生きた証しを残して

我々よりもはるかに短い一生を生きんとするのだ

 

 

An eon ago

   ロストボーイ1

 

ある時、私は大学の研究室で本を探していた。ガラスの扉のついた大きな本棚がある。そこに背中から光が入り、黒い影になった自分の姿が映った。私は自分の姿が怪物のように思われた。全身長の四分の一になるような大きな頭、短い足、ああ、宇宙人ではないか。自分は宇宙人のようにひどい姿であることがその時に初めてわかったのだ。こんなひどい姿であれば、学問ができようができまいが、生きていくのはむずかしい。どうせ宇宙人のように醜いのであれば、人を愛することもできない。卑怯者として生きていけばよい。この時以来、人と会話することにも困難になった。普通の道徳観念からできるだけ違うように生きなければならない。自分のことをロストボーイと呼ぶようになった。

さて、如何に生きるべきか。痛切な孤独感に捉われ、普通の社会人になることは諦めることにした。私は、早々と老人のように疲れやすくなっていた。歩くのもつらい。息をするのもつらい。自分は普通の人間と違う。異人種だ。どうせ異人種なら何でもしてやる。だが何もできない。ロストボーイは、町を、町の裏道をできるだけ、人の顔を見ないようにしながら、息を切らして歩いていた。

 

 

マンガで読む般若心経  238

桑田二郎 廣済堂文庫から 

 

自分が病気になるという事は

一から十迄、自分のせいなのだ。

自分の生命に対して、責任を自覚できないと

いつのまにやら、病気にやられてしまうのである。

 

運命にしても同じこと。

自分の運命は、自分自身が作っているのだ。

 

だが、低我が生命の主導権をにぎっているうちは

どうしても、その自覚が持てない!

 

もし、人間が子供の頃から自分の生命に

責任を持てる能力があったとしたら……

おそらく病気とは一生、縁がないだろう!

 

たとえ大人になってからでも、責任に気づいたなら

その後の病気は半分以下ですませるだろうね。

 

   十一月の不安

 

暑い夏が いつのまにか遠く去り

朝はもう寒い

秋は素早く去り

寒さが不安を増す

不安を消すための薬

不安を忘れるために何かを捜す

ぼんやりしていると

すぐ冬になる

時の流れは素早い

年寄りには 寒さとの闘いは命がけだ

もう父の死んだ年に近い

 

 

An eon ago7

   昔の防災

 

台風が来るたびに、祖父は藁屋根が飛んでいかないように、家の左右に置いてあるいくつかの石に太い縄をくくり付け、その縄を屋根のてっぺんを超えて反対側に放り投げ、また石にくくり付けていた。

さらに、太い針金を家の外側の中心の梁に結び付け、もう一方の端を地面に打ち付けた太い棒に巻き付けていた。これで我が家の屋根が台風で吹き飛ばされたり、家が傾いたりすることはなくなるのである。

だが、藁屋根で困るのは、雨が降るたびに必ず雨漏りがすることである。それも一か所ではなく、いろんなところで雨が漏れ出し、盥たらいやバケツがあちこちに並べられる。

ある時、夜になってから「こんに、こんに、(こんにちはの意味)」と声がする。母がでると、区長が「手取川の堤防が切れるかも知れんし、避難の準備をしとくように連絡があったし。逃げるところはかんさま(神様)やぞ。」と言っている。今なら防災無線か、スピーカーで連絡するのだろうが、昔はこうして避難準備の連絡をしていたのである。幸いにもこの時は洪水にはならず、いつのまにか寝てしまったと記憶している。

 

マンガで読む般若心経  237

桑田二郎 廣済堂文庫から 

 

一般の解説書では「正命」とは“正しい生活”と訳されている。

ところで、“正しい生活”と聞いて、何を連想するかね?

 

規則正しい生活! けじめのある生活!

はやね、はやおき!

礼儀と節度を守る!

きまじめにがんばる!

きめられた事をちゃんと守って正しく暮らす!

お父さま、お母さまを大切に!

交通ルールを守って、会社はさぼらない事!!

腹、八分目!!

 

まあ、みんな結構なことだが、そうした事は

あくまで形式にすぎない。

 

八正道の中の「正命」は、そんな形式的なことじゃない。

 

正命とは、自分の生命に対する責任の自覚だ!

さらには、自分の運命に対する責任の自覚だ!!