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私は基本的に性善説派なのですが、時にはこの人はちょっとと思う人にも巡り会います。
性善説と普通に使っていますが、ちょっと語源を調べたら、性善説を唱えたのは”孟子”なのです。
「人の本性は本来、善であるから、努力を惜しまなければ、立派な人間になることができる」
つまり、普通私たちが使っている性善説とはちょっとニュアンスが違っているのです。
普通は「他人を善人だとして信用して接する態度」と言うような意味で使っていますし、性悪説は「他人を悪人だとして疑って接する態度」と言う意味で使っています。
この「性悪説」は荀子が提唱したもので、
”人は弱い存在であるため、あるがままに放任していると自己中心となり周囲に悪い影響を与える!”、
だから不断の努力が必要としているのです。
まあ、そんな固いことを抜きにして、普通の使い方で性善説、性悪説で人をみて、
MM2H達に焦点を当てると、基本的には皆良い人なのです。
ただ、環境、境遇によってちょっとずれちゃったMM2Hもいるのです。
それでも、性善説の人も、性悪説の人もうまくやっている例はたくさんあります。
うちの最愛の奥さんは”性悪説”で、私は”性善説”なんです。
この関係をどう言う風に理解したら良いか?
まあ、結局二人とも”努力”しているってことなんです。
二人が努力すればいいんです。
でも、努力をしない人がいれば、まあ、これはしょうがありません。
でしょ?
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