今の時期、クアラルンプールには、隣国のインドネシアから焼畑をするために畑を燃やした煙がやってきてます。
パトリック曰く、”近所迷惑”。 毎年この時期になるとインドネシアでお百姓さんが、畑を燃やすそうです。 マレーシアでは一ヶ月くらいこの煙に悩ませられるそうです。
インドネシアの大統領とマレーシアの首相が2007年にお互い協力して、この煙害を撲滅する協定を結んだそうですが、インドネシアのお百姓さんは全然気にしてないみたいです。
ですから、この時期のクアラルンプールは雲って、涼しくなるそうです。(涼しくていいじゃん!と言う問題でもなさそうです。というのも初めての経験なんで、わかりません。) Nさんは空気清浄機で空気をろ過しているそうです。
日本にも隣国中国から黄砂が飛んでくるので、マレーシアの人の気持ちがわかります。 なにしろ人数で隣国に負けてるから、マスクするしかないようです。 ゴルフ場でもマスクを配るそうです。 しかし、これは天災ではなくて人災です。
“ばーろー! 百姓、なんとかしろっ! Nさんが喘息になっちゃうじゃん。 それでなくても、耳が遠いんだから。”
窓から外見たら、“アレッ? 外晴れてんじゃん。” まあ、天気予報も外れて、晴れる時もあるのです。(と言うより、マレーシアの天気予報見ない。 見るのはNHKの世界の天気予報。 マレーシアはほとんど、雨と天気が一緒になってます。)
それはそうと、鉄人が帰ってきました。
“ただ今、日本から帰りました!”
って電話がおとといありました。
“ねっ! 日本から帰って来ました。”ですよ!
“もう、マレーシアが故郷と言うか、クアラルンプールが俺の最後の居場所だって感じです。”、
それでも、日本に行くと
“日本に帰って来ましたーー!”
って言うんですよ、きっと。 すると親戚なんかが
“お帰りなさーーい。マレーシアどうだった?”
って聞くんです。 そうすると、
”イヤー日本はいいね! 節電で暑いけど、ゴルフは高いけど!なにしろ まわりが日本語、道路標識も漢字。”なんて言うんです。
鉄人は、今回は奥さん日本に置いてきたそうです。
“やりますねっ!、鉄人! いよー!”ってか!
昨日は日本語のあいまいさについての考察をご紹介しましたが、日本語ほど表現が多様化されていて、そしてこれを使いこなしている国民も世界を見渡してもいないと思います。
Oさんだったら、
“あなた、どうやって世界を見渡す事が出来るんですか? すっごい大きな望遠鏡でも。。。。?”
って、突込みが入るんです。
まあ、Oさんは置いといて、例えば、えーごで“I=アイ”と言うのを、日本語では“ワタシ、アタシ、私、俺、僕、せっしゃ、それがし、これがし、あたい、おのれ、わし、まだあると思いますが、これらを場面、場面、TPOで日本人は使い分ける。
外国人が日本語難しいと言うのも理解出来ます。この場合は反対に日本語をえーごに通訳するのは簡単です。全部“I”にしちゃえばいいんですから。
ちょっと待って、そう言えば普通の会話では、”私とか俺とかアタシなんて、日本語は主語をスキップしちゃう場合が多いから、想像力を働かさないと大変です。
“昨日パビリオンに行って、トンカツ食べた時、”このケースの場合は“彼か彼女か、ヒレカツを食ったのか、それともロースカツを食ったのか”、想像しなくてはなりません。
”そしたら、キャベツと白いご飯食べ放題でしょ? 3杯もお代わりしちゃったし、キャベツは2回お代わり。“
“ここで、3杯お代わり”をしたと言うところで、会話の主体は男、しかも関西系とわかるわけです。 (まあ、男はと言うのは想定できるけど、何故関西系、しかも和歌山出身まで想定できるんですか?) それは“キャベツの2回”から来るのです。“キャベツ2回は関西系、3回は関東系でタマンデサの住民”。
ほらね?!この観察力、デイテールへのするどい考察、これですよ。わかっただえしょ? 今回は和歌山と奈良と三重も一応対象になりました。
関東といっても、神奈川県から来たの元お役人で、現在組長をしてる方は、キャベツ1回派、東京の下町は3回派。
でも、組長は豚より牛。ステーキの方が好きみたいです。 アンパンポイントの屋台のステーキ屋がお好み。 ベテランですから6時直前に行くのです。 7時頃になると、もう満席。 欧米、オーストラリアから来た人がガンガン300gのステーキを頬張っています。 組長は必ず日本から来た客人をそこへ連れて行くのです。 この前、組のおじきの若造を連れってそうですが、300gをステーキを2枚ペロッて平らげたそうです。
“若さゆえー、なーやみー、若さゆえー、ほおばるーー”ジャガーズです。
“なんで、インドネシアの煙害の話から、ジャガーズに飛ぶのか?”って?
この“飛び”がまた、このブログの特色でもあり、筆者の脳の空白が拡大している”ing”状況を反映しているのです。
何しろ書いてるうちに、最初に何を書いていたのか忘れちゃうのです。