今日は日本語の難しさについてレポートしようと思います。 なにしろ日本語の表現はあいまいなで省略したものが多いのです。 例えば“どうも”,“あのー”、“それじゃーね、”、“アレ”等が典型的にマレーシアの年金生活者の中で使われる表現です。
まあ、こういった表現も中国人が日本に行く時に,簡単で便利な日本語を教える時は非常に役に立つ事もあるのです。
例えば、相手の日本人が何言ってるのか聞き取れない時“どうも”これ一発で問題は解消、会話が成立するのです。 しかしその中国人が“理解”したかどうかは問題ではないのです。 会話が成立したという事実が重要なのです。 まあ中国人はみんなで赤信号渡る時は強気ですが、一人になると気が小さいのです。
ところが、問題は同じ日本人同士でこれをやられると、時として問題が生じます。
今日も絵画教室の後、いつものようにお昼を日馬周(ひまわり)で、親方とアンデイーと(親方が中華定食、アンデイーが蕎麦定食、私が和定食)を食べていた時に、食事終わった部長(新日鉄じゃなくって、絵画部)
“それじゃねっ!”って俺の方を軽く“ポン”とタッチして去って行きました。
“?!?”
“あー、それね?!”
“エーーッと、それね? エーーー?アレ? まずいんじゃないの、親方とアンデイーの前じゃ。” なんて思っちゃうのは俺だけでしょうか。 とこうなってしまうのです。
(おまえ、なんか全然勘違いしてない? )
(だよね、そうね、勘違いだよね、決まってる! 勘違い 良かった!
皆さん、勘違いでした!)
と言う風に、“それじゃ”は、どこかでボタンの掛け間違いになってしまうのです。
そうだったんです。 今日は絵画クラブ。 M先生が“空”の描き方をおせーてくれたのです。 “空”っていうのは“深い”。
空は赤と青の絵の具で描くのです。
ねー、知らなかったでしょう? (エッ?そんな事知らなくても良い? そうですよね。)
雲もいろんな雲があるのです。 観察力が試されるのです。
“絵”って言うのは、観察力、性格、感受性が個人の感性が出て来るのです。
親方が良く言う左脳を刺激するのです。
雲ってのは、白い雲ばかりじゃないのです。 青の雲もあれば、夕日に照らされた赤い雲、朝焼けのピンクの雲、それに憂いを含んだ薄いグレーの雲に影。
人間と同じですね。 入道雲のようなNさん、可愛らしい白い雲のようなHさんの奥さん(おまえ言イスギデネーノ! いや、デ・ネーノというより、それはロバートデニーロ!)
ホラネ、Hさんとなると、こういうのがでちゃうのですよね?!、勿論ピンクはアンデイー、憂いを含んだ雲は、夫の帰りを待つマグロ漁船の妻達、ほらね?
エッ?私ですか? 私は雲というより、”虹“。
(それってちょっと、良すぎじゃない?)
そうじゃなくって、
ねっ?着るもの見てたらわかるでしょ? 一応“虹色”全色取り揃えております。
姉御のスパッツと一緒。 アンデイーは? 黄色がないから駄目!
こういった人間模様を表す雲がここマレーシアには沢山あるのです。 良いですね! マレーシア!
“それじゃ、”
なに? “それじゃ、だけ?”
“ あいまいで省略してるって?!”
はーーーい、わかりました、それじゃー
それじゃ、 “皆さん、マレーーーシアで、待ってまーーーーす!!”
それじゃに、続いて最後まで明確に自分の意思を伝えなければ、消化不良になってしまうのです。ここが日本語の弱点でもあるし、強みでもあるのです。
執筆を志す者としては、この使い分けを気を付けないと、勘違いされてしまいます。
私も“あのー”とか“アレッ”は良く使わせて貰うんですけど、この場合は省略とか、あいまい以前の問題だと言う指摘があるのです。 “せっかち”が原因だそうです。 せっかちだから言う事が多すぎたり、微妙な人の名前を出そうとすると、“アレっ?”とか、“あのー”が出てしまうのです。 2時間後にその人の名前はちゃんと言う事が出来る(?)、二日後?くらいの時もあるのです。
外国人と交わる時に、通訳を頼まれたりするともう大変。
“あのさー、通訳ヤッテヨ!”
“いいっすよ!”
“そいじゃさー、あそこでさー、テイムさん(ゴルフ好きのイギリスのエンジニア)がさー、アレしたじゃん。あのテイム方式、 アン時は絶対にチョンボだよね? やばいよね?”
この方“xxさー”が多すぎますね!? 日本人だったら、この方は多分九州出身くらいだと理解して、会話が続くのですが、これをえーごに通訳するとなると“xxさー”の“さー”が、外人には“sir ”って聞こえちゃうから、”sir=さー“を訳さないと”おまえ、本当に日本語通訳してんの?“って疑問を持たれてしたりします。
だから、通訳する前に、外人にその日本人のいう事は“気にするな?
無視!”って言っておけば、問題は国際通商問題にまで発展する事はありませんし、ただのゴルフボケの年金生活者の普段の会話で済んでしまうのです。