自分がリストラされる?
24名のリストラが終わり、会社にも秩序が戻り、若手、それから能力、やる気があっても不遇だった人達が、新しい責任のある仕事にに前向きに取り組むようになり、会社も順調に売り上げを伸ばし始めました。
コストダウンが図れたので、リストラの年は、退職金等の支払いもあり、収支トントンでしたが、その年の後半には月次で黒字化しました。 副社長だった私も社長代行(?)というタイトルが付きました。
“なんで社長じゃないのよ。”独り言。 “人が嫌がる仕事をして、会社も黒字化したのに、何で社長じゃないのよ。”、
まあ、前社長の口約束があった、なんて言ってもしょうがないし。、まあ、このまま実績をあげれば、社長かな?“ ステイーブ甘い!!
何か本社で不穏な動きがあるのを感じました。 前社長を雇ったアジさ太平洋担当の本社の副社長が、南米担当になり(左遷)、新しくエンジニア部門の責任者のビルがアジア・太平洋担当副社長として、日本にやって来ました。 同時に本社の人事担当の女性のウエズリー副社長もやって来たのです。 新しい組織の幹部との夕食会の時に、その女性の副社長が“疲れたので、夕食はスキップする。”と言って、歓迎夕食会に出てきませんでした。
“何かあるな?”
当然彼女はヘッドハンターに会って、次期社長の候補者のインタビューをしていたのです。
ビルもウエズリーも、日本にいる時には、そんな事はおくびにもだしませんでした。 しかし私の昔なじみんのヘッドハンターから、
“新しい社長をさがしているんだって?”と電話が有り、、そこで彼らの動きが解ったのです。 何社かのヘッドハンターの知り合いに聞いたところ、とんでもない奴が社長候補になっていることがわかりました。
ヘッドハンター業界では使い物にならないと相手にされていない人物だったのです。 それをヘッドハンター業界でも新興の所が斡旋している事がわかりました。 ヘッドハンターは会社で動くというより、人で動くところがあり、その斡旋をしたヘッドハンターは、この業界には新しく、コミッションで自分の給料が決まるので、なんとしてもこの人物を社長にしてしまわなければなりません。
ニューヨーク市場に上場していても、田舎の会社の人事担当のウエズリーとか、 ビルを丸め込む位朝飯前。 結局、人物鳥田氏が社長として就任することになり、私は副社長に逆戻りになりました。
彼はMBA(?)を保持しているというので、彼に任せておけば大丈夫。 それに前社長の不祥事があったので、本社からのコントロールを強化すれば大丈夫と思ったのでしょう。 そこで、彼は本社の指示で長年継続してきた大手顧客との契約の見直しを始め、顧客に今までリースしていた機械を購入するように迫ったのです。
営業担当のK副社長は、会社の方針は理解出来るが、突然継続してきたビジネス習慣を止め、“新たにするには強引過ぎる。 相手と交渉して、相手の事情も踏まえた上で、会社の方針に沿った形にするべきである。 サプライヤーが自分の都合だけで、取引形態を変えることは出来ない。”と猛反発しました。
もちろん私も“この頓珍漢が何を言い出すのか。せっかく良い方向に進みはじめ、得意先からの信頼も回復してきた矢先にこんなことをやり始めるなんて。”
“鳥田さん、少し時間をかけて、相手の事情も踏まえてこの政策を実現すべきだと思う。”と私は抗議をしたのですが。
“これは本社の指示であり、本社の指示通りに動いて貰わなければならない。”と突っぱねられました。
“この前、ビルが来た時はそんな事は言っていなかったではないですか? そんな大事な方針転換であれば、彼が皆に言うはずでしょう。”、
“私が彼と話しているので、これが会社の方針です。”,
そこで、私はビルにEメールで“鳥田氏が危険な事を始めたが、それは貴方の指示であると言っているが本当か?”、と聞いたところ“そんなことはないが、そのような危険な事であれば、彼に踏みとどまるように指示する。”と返事が来たのです。
“何?これ?”、次の日、と鳥田に“ビルはそのような指示は出していないと言っているがどうなんですか?”。“そんな事はない。”、それで押てし問答を繰り返したのです。
そして、次の週の月曜日、私がいつも通り7時半に出社すると、珍しく私より鳥田が早く来て社長室で誰かと会っているようでした。 そこで私が部屋でパソコンを立ち上げていると、ガードマンがやってきて
“社長室に来てください。”、
“お前は誰の許可でここにいるんだ?。”、
“社長室に来ていただければわかります。”、
“ふざけやがって!”独り言。
社長室に行くと、もう一人ガードマンがいました。 げじげじ眉の鳥田が緊張した顔で
“貴方は会社の方針に逆らったので、辞めてもらいます。今すぐ会社から退去して下さい”と上ずった声で私に言ったのです。
‘何を根拠に会社の方針に逆らったのか?“、
”今すぐ出て行って下さい。“、
”彼を連れて行って下さい“とガードマンに言いました。
”このバカ、何をやらかすんだ。でもここで言ってもしょうがない。“、
するとガードマンは私を両脇から抱えるようにして、私の部屋まで来て、”私物のみを持って退去して下さい。携帯も取り上げられました。“、ガードマンに何か言ってもしょうがないし、私物を持って部屋を出るとガードマンが両脇を抱えようとしたので、
”ふざけんなよ。出て行くから手を離せ!“
と言うとようやく手を離しましたが、私がビルを出るまで付いて来ました。
一部出社した社員がびっくりしていました。 自分が何か犯罪を犯したような気分になりました。
営業本部長のKは8時半に出社し、私と同様に会社から退去させられました。彼に電話で状況をらせることも出来ませんでした。
私は彼がいつも行く喫茶店に来ると思い、待っていたところKが顔を真っ赤にして私の方にやって来ました。
“許せない、人を犯罪人扱いにしやがって。ただじゃおかない。”、
二人は予測はしていたが、犯罪人扱いには信じられませんでした。
もう二人は完全に頭にきていました。
そこで、知り合いの弁護士のところへ行き、事情を話し対応を協議し、会社相手に裁判を起こす事にしました。
続きは。。。。
でも、後々考えるとリストラの報いがきたんじゃないかと思います。 リストラをする前にしっかりと会社を経営していかないといけません。
次の会社に社長で入って暫くして、パリに出張した時に偶然にも、あるホテルでエレベーターから降りてきたビルに会いました。
暫く立ち話をしたら“申し訳ない、お前の言うとおり、鳥田はとんでもない奴だった。 俺が間違ってた。”って。
“あいつは自分で利益を出したって言ってたけど、お前達が利益を出せるようにしたんだよな。”、
“へっ?! 馬鹿野郎、今頃遅いって言うの。 お前みたいな百姓は、あの機械に挟まれて死んじまえ!”独り言。
“いいよ、誰にでも間違いはあるし、俺もこの会社でちゃんとやってるから。お前も頑張れよ。”
時が経つと人は痛みを忘れるものです。もう何回も痛い目にあってるから、慣れました。
その後2年後にその会社は別の会社に乗っ取られました。