6社目の運動会はいかがでしたか? その続きです。

 私が上司が糖尿病で入院した後、責任 者となった部門は、電動歯ブラシを売っていことは前に書きましたが、その製品は良いのですが、なにしろ値段ですが高い、一台2万6千円もしていたのです。

本社の方針がコンタクトレンズの売り方と同じような売り方をしていたからです。

 もちろん日本サイドでは、消費者が買いたい価格に設定するように求めていたのですが、認められませんでした。 

それでも、消費者の方に“お試し”をしていただくことで、何とか売り上げを伸ばすようました。まあ、つまり一度電動歯ブラシを使ってもらえばその良さが判って貰えると。


 歯医者さんの推薦をもらう為に、全国5万軒の歯医者さんにタダで製品を送り試して貰い、患者へ推薦、販売してもらったり、企業の健康組合にプロモーションをかけたりしました。 当時の企業の健康組合の悩みは、団塊の世代が段々歯が悪くなり、歯科治療の費用が上昇していたので、歯の予防治療としてこの電動歯ブラシを従業員に使って貰うことで、治療費を抑制すると言うアイデアです。 いくつかの企業から発注をいただきました。

この企業向けアイデアが、前回の運動会の話題の時に出た勝負の結果です。 

28時間もビジネスを考えているとこのようなアイデアも出てくるものです。

当然, 勝負は私の勝ち!!

このような活動の結果、責任者になって2年目は売り上げが倍増したり、日経ビジネス 広告大賞もらったりと、上昇気流に乗りかけていたのですが、本社でCEOがかわり、本流の目関係のビジネスに集中するとの方針が出ました。


暗雲が立ち込めてきました。

そんな時、主流部門の事業部長が、背任に近い事をしたということで会社を去って行きました。 広告会社を利用して、ロスアンジェルスに投資をしたとのことです。

この事を機会に、各部門の有力者が当時の社長に対して、疑問を投げかけ始めました。 彼が、会社から用意された車を彼の奥さんが利用し、自分はグリーンで会社へ通っているということ(もちろんグリーン車代は会社持ち。)。

 このような公私混同の情報が、どんどん社内に流れて来て(もう人事総務へのコントロールが利かなくなってしまっている。)、社長が各部門に対して、状況を説明せざる終えない事態となってしまったのです。

 このような事態になった以上、彼のガバナビリテイーはもう無いも同然、社長の威厳なんて、あったもんじゃありません,。しばらくして彼もこの会社を去っていきました。

 問題は社長が去って、自他と共に認めていた2番目の役員もいなくなってしまい、3番目の役員がいたのですが、いい人なのですが社長の器じゃないので、皆無視。

さて、どうする?

ここで、各部門の次期事業部門長候補者達が集まって鳩首揃えて、どのように対応するかを話し合いを持ちました。 一番の年長者で最大事業部の部門を担当していた人に、“神輿に乗って下さい。我々がちゃんと担ぐから。”と話をしていたのでが、彼は固辞をし続けました。

その間に本社から、イギリス人を社長として日本に送り込まれました。

 そのイギリス人の社長が来てから、反乱軍への制裁が始まりました。反乱軍ではなく、会社を普通の常識が通じる会社にしようというだけだったんもですが、本社側はそう見ていなかったようでした。

社長がリビアのカダフィみたいだったら、反乱軍も勝ち目があったかも。本社のオバマ大統領もサポートしていたかも。 そうですね。彼は独裁者というより、鳩山みたいだったから、しょうがないか。

そのイギリス人は、彼の片腕として、3番目にランクされていた役員を専務に昇格させ、植民地支配の再構築を始めました。 

我々は彼のことを“ぽち”と呼んでいました。2番めにランクされていた人は

“アミーゴ”メキシコ人のやくざ、一番のランクの前社長は“チビタ”って呼んでました。

やっぱし、あだ名よりは、ミドルネームですよね。

最大事業部の二人の部門長は左遷。 一人は私の部門に来ました。

もう一人の年配の人は、退社し、ヘッドハントの会社に社長としてヘッドハントされました。それだったら、あの時神輿に乗れたじゃん。良く判りません。

 

本当に人生って、タイミングとチャンスを見逃すととんでもないことになってしまします。

 もう一つの事業部の部門長は、レンタカー会社の重役として、同様にヘッドハントされ、去って行きました。

また、私のところへ左遷(栄転?)してきたYT氏も、暫くして、筆記具の会、社の社長として、ヘッドハントされていきました。  

皆、結構やるじゃんって感じ。 もうこの騒動が始まってから、皆、覚悟を決めていたので、醒めた感じで皆去っていきました。

 まあ、我々の事業部だけが無傷でいるわけがないと思っていましたが、ある日そのイギリス人の社長から、話があるので、部屋に来てほしいと彼の秘書から私に電話がありました。 “来たな!、やっぱし。”。

“ステイーブさん、貴方の部門は良くやっているが、本社の方針に沿って、部門を売却する事にしたので、その方向で事業部を解散して欲しい。また、貴方は、新しいところで挑戦して欲しい”と言われました。

そう言えば、昔からイギリス人とは、波長が合わなかったなー!

“私は辞めるのに文句はないけれど、事業部の皆を他の部門に転籍させて欲しい。”と社長に頼み了解を得ました。

他の事業部の連中からは“独立愚連隊”と呼ばれていた、一癖も二癖もある連中、この先、他の部門の奴らとうまくやっていけるかな? 

心配でした。本当に!!! 

飛ぶ鳥後を濁さないように、飛べない鳥は、中国人の餌食に、得意先、其の他関係者にはきちっと挨拶をして廻りました。

その間に、ヘッドハンターから、米系の製薬会社の営業本部長の話があり、

そこに行く事になりました。

 油の乗った40代は(脂ぎった?)まだまだ仕事がありました。 

 今では、歯ががたがた、あの歯ブラシ使ってないからかな? 

"中国でインプラントをしてまいした。"