大抵が力入って

うまく行かないんだけど

たまにめっちゃ乗り移ってる

時があるなと思う。


それが良い悪いは別として

いや、むしろよくないかも

しれないけれど、

むしろこの精度を上げることが

よくなるチャンスかもしれないと思う。


我に返っている時は

余計なことが頭を占めてる。

次の小節に高音がある、

力を抜いて息を吸って冷静に…

いや、力入るに決まってるやん。


無意識に呟くように

詩を読むかのようにスウっと

歌っている時にそれは起こる。

不思議なことに初見譜読みの時にも

余計なことを考える暇がないからか

同じように豹変してることがある。


乗り移りや豹変は

それを目指すと遠ざかって

力んでしまう。

ではどうすれば良いか、

初見や無意識という状況は

再現しようとしてできるものではない。


無意識に歌詞を呟くように歌う、

その境地に達するには

詩の世界に入り込むには、、

何度も何度も繰り返し

何度も何度も繰り返し…

自分の腑に落ちるまで、

完全にその世界に生きる

ようにのめり込むしかない。


何故乗り移るのか、

何故初見の時に豹変するのか、

何故?と考えると、

感動、感激がそこにあった。

物凄くその詩に音楽に

入り込んだ時だった。


表現するには技術は必要だ、

ほぼ技術といっても過言ではない。

それでも最終的に必要なのは

心なのだ、詩の世界を感じる

感性なのだ。共鳴する心身が

息となって声となって、

また自分以外の人や指揮者と

響き合って音楽はひとつになる。


この感動をまた経験したいがために

ずっと合唱を続けている。

おそらく死ぬまで続けるだろう。


時石