今まで本格的に声楽を

習ったことが実は何度かある。

何らかの形で歌をやるなら

声のメンテナンスは絶対に必要。


またトレーニングをしたい

とは思ってはいるけども…

結局プロの方が言ってることは

言い方は違っても一緒だったなと

思うと、ここ一歩気が進まない。


何というか、スポーツみたいなもので

歌は身体が楽器なので鍛えることは必要。

使い方も重要、息と身体が全て。

そのコツが掴めないのか、練習を

重ねてもそう大きくは変わらなかったのだ、

私の声は、そう、私の声のままで。


なんともラッキーなことに

半ば諦めていた少人数合唱に

参加して半年…

理想的な透明感のあるアンサンブル、

参加できるだけでも嬉しかった。


しかしめちゃくちゃレベルが高い。

この半年追いつくために必死で

ともかくお稽古は緊張の連続だった。

今までのちっぽけな知識で

自分の身体をフル回転させても

やっぱり私の声は私の声で。


歌い過ぎ、出だしだけでも

良いくらい。初めの音が下がって

きているので気を付けて。

もっと鼻の上を通すように。

ヴォイストレーナーはいないけど

パートにめちゃくちゃ上手な人が

いて色々アドバイスを頂いた。


アドバイスというよりは注意だけども。

私の声がこの澄んだハーモニーを

汚していたのだろう。

ともかく出たし以外は小さく歌う

ように邪魔しないようにと気を遣った。


今まで声楽の先生に言われてきた

頭では分かっていても、実際に

行うと全く効果が感じられなかったという

ことがここにきてもやはり同じところで

躓く、克服したいというか、

もう一段上に上がりたい。


声楽を習っていると高音域になると言われるのは

頭のてっぺんから糸で吊るされているような

鼻から後ろ頭を通って息を流すイメージで、

などが代表的な例だけど、これが

イメージすると綺麗に声が出た気がする

だけで自分を納得させることがてきなかった。

多分そのイメージをすることで

自分の身体に何が起こっているかを

認識できていなかった。


それがこのアンサンブルで

ともかく力を抜いて息の通り道を

後ろから背中から頭後ろを通して

とまた同じようなことを言われた時に

ふと、ルネサンスの頃の古典の

歌を習った時のことを思い出した。

軟口蓋を自由に開け閉めできるように

息を送り過ぎているから、

うがいの時の要領での変な声での

発声を何度もやった。


これは初めて言われた練習方法だった。

ガラガラとした変な声の練習、

これは吸気でも練習した。

かの有名な呪怨のあの音がする。

ハッと大きく息を勢い良く吸う時の

イメージも練習をした、

これはつまり息の量を調節する

ということだったのだ。


つまり、私は歌う時に

息を使い過ぎているのだ。

そんなことに今更気がついた。


いや、気がついて良かった。

何のために、がやっと理解できた。

声楽を初めた初めの頃

ともかく声が小さいから

もっとしっかりとよく言われた。

全部を大きく歌おうと力む癖は

ずっと私の中でデフォルトだったのだ。


そうしたらいろんなことが浮かぶ、

息を調節するにはうがいをする時の感覚。

それを歌う時に意識するには…

今度はそこがなかなか結びつかない。

ガラガラと歌うわけにいかないし

何よりうがいする感覚では

高音域は喉が閉まって出ない。


そこでふと声楽の先生や

上手な人の言葉が浮かぶ。

鼻の後ろを通って頭に抜ける感覚、

足裏から背中を通って頭の上に

抜ける感覚、前に出すのでは無く

後ろを大きく通って響かせる。 

支えは姿勢を良くして

上半身の力は抜く。


全て統合すると私にとっては

歌うときに息を吸う感覚だった。

息を少し止める感覚というか、

後ろに声を響かせるには

吸う感覚で鼻にも響く体験ができた。

力は抜く、姿勢を良く、

息が身体を通る感覚。


これが合っているのか分からないけど

今まで前に出て聞こえていた

自分の声が随分周りとブレンド

されて皆の声との響きが

聞こえる感覚を初めて得た。

もしかしてこれが息をコントロール

するということかもしれない。

注意もされなくなった。

(諦められたのかもしれないけど…)


しかし今度は高音域での息の使い方に

四苦八苦する、この息をコントロールする

吸う感覚での歌い方では高音は出ない。

特にGより上は喉が詰まる。

そうするとここはもっと沢山の

息を使わないと、しかも勢いもいる。


もうこれは今までの出し方を

少し思い出すしか無い。

高音域が書かれている箇所は曲の中でも

何かしらテンションの高い箇所だ。

ともかく前もってその箇所を

イメージしてあとは、よいしょと

重いものを持つ感覚なのだ。


まだまだ何か勘違いをしているかも

しれないけれど、これだけ長い間

細々とでも歌を続けていて

初めての感覚に戸惑いながらも

やっと少しだけ前に進めた気がした。


時石