最近上島珈琲店さんの

ほうじ茶と、マカロンセットラブ

このセットが大好きで

ザントクーヘンがない場合は

必ず注文してしまうほど好き❤️


小さいカップですが三杯弱ほど

あるし、スッキリした味わいで

とっても温まります。

勿論有名なミルク珈琲黒糖も

クリームソーダも好きです❤️


京都に住んで5年が過ぎて

やっと身近なスーパーや道が

身にしみてきた気がする。

京都の人ではないので

通り名がパッと思い付かず

え〜とほらあそこ、新町の〜

え〜と〜、、なんてことは

今でも同じだけど。


四条河原町や四条烏丸のように

交差する通り名+上ル、下ル

などという京都の人に最初は

面食らっていたけれど、

その便利さが今では

多少分かるようになった。


といっても川端通が

なかなか口から出てこず…

というか堀川通と混乱するので(何故⁉︎)

バタバタ通りとか言っていては

京都の人に叱られるだろうけども。


当たり前のように

非日常を感じる京都の街中や

観光地をすり抜けて散歩がてら

好きなスーパーまで足を運ぶ。


最終的には四条河原町付近を

通るのだけど、人を避けるのが

非常に上手くなった。

脇道や空いている道、

どの信号がスクランブル交差点

なども覚えていてスッと

早足で人混みを抜ける術が

いつの間にか身に付いている。


ふと、、京都に住んでるなんて

考えられないことだなと思う。

親元にいた時以外は

自分の好きなところに住んできたけど

京都は家族の意向が大きい。


初めて京都へ来たのはいつだろう?

京都寄りの大阪に住んでいたので

親がよくドライブであちこち

連れて行ってくれていた

とは思うけれども、はっきりと

意識したのは京都大好きな

友人の影響だろう。


ともかくこの友人は凄い人で

何冊も観光本を買い、行きたい場所

お店、食べたいものと調べ尽くして

ツアーのように計画を立ててくれる。

いつも悪いので私が計画を

立てたこともあるけれど、

交通アクセスの悪さや

彼女の好みには合わないことが

分かり、結局彼女にお任せとなった。


私としては京都の街の非日常感が

好きだった、街並みや鴨川の風景が

日常で疲れた心身を癒してくれた。

それは越してきてからも同じで

何も変わってない。


非日常の内側には住んでいないけれど

外側との間に住んでいるような感覚だ。

ふと日常の中に京都の魔力が

滑り込んでくる、そんな時があるのだ。

それは物理的に近いから。

またそれらを形成している内側の

人たちとの触れ合いでも起こってくる。


京都は私にとって遠い存在だった、

非日常を感じさせてくれる

とても好きなところではあったけれど

多分住むところではないと

頭の片隅で思っていたと思う。

だって生活をするということは

非日常とは相容れない気がする。

所帯染みたところを外の人に

見せずに生活するのは難しい。


しかしこの私の偏った考え方は

大げさだったなと今は思う。

そういう面もあるというか

歴史と観光の街である京都の

中心地はそのようなことが

多少あるだろうけれど、

ほんの一部で…その周りの

住宅地や郊外は普通に人が住んでいて

日常を見せられないなんてことは無い。


観光に来た場合には観光地以外は

見ないものなんだなと思う。

そりゃ祇園祭や神社仏閣に行って

住宅地見て帰る人いないよね。


ただ、住んでみて思うことは

やはりくっきり分かれている、

観光用と日常用の面がニコニコニコニコ

それが見えるように

分かるようになってきた。


敢えて、観光用に足を踏み入れる

ことは少なくなってきた。

日常用のお店はすごく少ない、

大阪に住んでいた時に比べて。


観光用に入って内側の人と

観光に来てくれた人の

邪魔はしないけれど

その薄っすら外側を歩くのが

大好きです。


例えば……

観光の人が少なめの日曜の夕方に

哲学の道から八阪神社、祇園町を

抜けてスーパーに買い出しにいったり…

平日の閉店間際の出町ふたばさんに

豆餅を買いに行ったり爆笑

出町柳の橋から見える大文字山や

鴨川の風景がいつ見ても素晴らしい。


非日常の欠片を拾い集めて

ここのところやっと

この幸せに気付く。


時石