4年半前にドイツの精神科に入院した時に、

患者の間で「魔女」と呼ばれる心理士がいた。

 

その病棟はこの魔女の一存で色々決まっていた。

 

その魔女から言われたアドバイスの数々が今の自分に生きてくる可能性があるやもしれぬ、

なんてことを思ったので、リブログしてみることにした。

 

精神的な辛さを普段はそんなには感じないという人も、

昨今のコロナ禍では他人事でなくなっていたりする人もいちゃうかもしれない…

 

それが私のように希死念慮というレベルにまでいってしまわなくても、

何か参考になることもあるかもしれないという想いも込めて。

 

(リブログした文中の⑦の「住む」だの「暮らす」だの言っているのは、

それが英語では通常liveで表される語だけど、

ドイツ語では違うんだな…という意味合いを自分の中では含ませていたのだと思われますが、

だいぶ昔の文章なので、はっきりとは覚えてません。すみません。)

 

ドイツから100kg分の荷物を郵送した私。


ドイツ郵便に荷物を届けてもらう時、「民営化してサービスが低下した」とどこの国でもあるような話が飛び交います。


一説によると、最初から荷物を届ける試みをせずに、不在連絡の紙を郵便受けに入れ、「郵便局まで取りに来い」というのです。ただでさえ面倒なのに、荷物が重かったり大きかったりするときは地獄。


実質的にそんな郵便体制になっているのだから、集荷サービスなどあるはずがない!と思っていました。


で、ダメ元で探してみたら、ありました。




午前か午後の指定をする場合は6ユーロ、指定をしない場合は3ユーロで取りに来てくれます。


依頼主と送付先の情報、荷物のリストをネットでさらに登録したりしなければなりません。


当初、歩いて20分ぐらいのところまで何度も運ばなきゃいけないと一度は覚悟を決めていたのですが、助かりました。なんせ一箱あたり30kgあったので。


最後に追加で10kgを運んだ時に思い知りました。


その100kg分の荷物が数日前、東京の自宅にやって来ました。配達員から悲鳴が聞こえるかのごとく。


荷物の大半は研究関連の専門書です。どれも大切な本で、捨てるわけにはいきません。


断捨離とはほど遠い部屋を見て、ため息が出るような、逆に落ち着くような…


断捨離ができないにしても小分野ごとに分ける作業を近々せねば!


昔こんなことを思ったことがあります。


「私が仮に大学院を辞める決断をしたとして、私はこの大量の本を捨ててしまうことができるのだろうか」


私の高3のときの担任は、博士課程まで進むつもりでありながら修士修了時点で研究から離れた人で、大きな体の持ち主であることもあり、ズボンのポケットに文庫本を入れていたような人。


その先生に「先生は研究関連の本を捨てることはできましたか」と聞いてみたことがあります。


「そんなんでけへんかったよ。賃貸に住んでた間は本の入った段ボール用の部屋があった。家を買って漸くその段ボールから本棚にしまうことがでけて嬉しかったよ」


そうだよね、捨てられないよねー。


断捨離など夢のまた夢。


ひとまず部屋を片付けねばならぬが、もう連休終わるやん!
さきほど無事に日本に着きました。


実は去年精神状態が破茶滅茶だった時、何度も飛行機を逃して、その度に航空券を買い直す羽目になった私。


今回は、ベルリンでドイツ人の友人が荷物運びを助けてくれることになっていたので、少し早めの時間に頼んで空港に向かったのでした。


無事にチェックインを終え、その彼とも別れを告げて、搭乗ゲートに入ってみると、遅延の文字があるではないですか。


もともと1時間20分の乗り継ぎ時間しかなかったため、冷や汗が止まらない。


たまたま待っていたところで日本人がいて日本語で「これはもう無理ですねー乗り継ぎサービスに行って便を振り替えてもらうしかないですね」なんて言っている。


知らない人だったけど、思わず「え、ほんとですか」と聞くと、「ええ、ぼく行きの飛行機でもそうなりましたから。諦めるしかないですね。うまくすれば夜の便、悪ければ現地泊、最悪の場合は中国経由で中国語まみれになるしかないですね」と慣れた感じで言う。


中国を差別する訳ではないし、中国人の友人もいくらかいるものの、長時間中国語だけの世界に押しやられるのは、言葉の持つ性質というか、威力みたいなものから、なるべく避けてきた私。


暗ーい気持ちで空港職員に乗り継ぎのことを尋ねるも、乗り換え地に着くまではわからないときっぱり言われる。


ベルリンからヘルシンキに飛び、ただただアナウンスを待つ。


すると、成田行きや名古屋行き、バンコク行きなどの情報がアナウンスされるも、関空行きの情報はない。


小さく掲げられていたスクリーンを見ると、Osakaの文字が視力検査を促すが如く小さい文字で書いてある。


出発時間が1時間半遅くなっていました。


助かったー。


んな訳で無事に乗れて、約9時間の飛行を経て関空に着き、いま実家に向かっています。


東京に帰るのは数日後。


関西の実家に帰ることにものすごく抵抗のあった私も、ベルリンで心がほぐれたのか、そこまで抵抗なく実家に向かえております。


しかし、本番はここからという気もします。


日本でうまく生活していけるか、この1年、入退院を繰り返した私にはまったくもって自信がないのであります。


とほほ。