子育てをするとき、
自分自身がこどもの頃受けた子育てと比較することって、多々あると思います。
親に感謝していること、
親を恨んでいること、
嬉しかったこと、
傷ついたこと、
大人になっても意外と覚えているもので、
こどもの頃の、タマゴロウと同じ年頃だったときの私が、頻繁に頭の中に出てきます。
フラッシュバックと言うやつなのかな。
私は決して「お金持ちのお嬢さん」ではなく、むしろ生活の水準は平均以下だったと思うので、小学校から大学まで学校は全部公立でしたし、大学は一人暮らしをさせてもらえずに自宅から通えるところしか選べなかったけど、
それでも「食うに困る生活苦」ってほどでもなく、22歳で就職して家を出るまでは、自身でバイトをしつつも、親がすべての学費も旅行代も引っ越し代も出してくれたし、風呂に入ってご飯も食べて、(笑)基本的に自分の学生時代までは恵まれていたなぁと思います。
その一方で、我が家はなんでもかんでも買ってもらえる環境ではなく、とくに着るものや持ち物は、可愛いものをたくさん持っているお友達を、いつも羨ましく思っていました。
(かくして私は、就職後の20代の頃は、ネット通販やショッピングで服や小物を買い漁って、ものに埋もれていた時期があった。笑。こども時代の反動だと思う。今では物欲が薄れつつあるけど。笑)
私はかつて、着るものと、持ち物のことで、こどもの頃にすごーーーく親を、とくに母親を恨んだことがありまして。
それが、七五三の衣装と、ひな人形のことでした。
長くなりそうなので二回に分けて、先にひな人形の話を。
ひな人形は、小さい頃はずっと「私はひな人形を持っていない」と思っていたのですが、
当時県外だった母の実家に、私のひな人形が生後ずっと置きっぱなしになっていたことが、小学校の高学年の時に発覚しました。
ひな人形が。
みんな持っているのに、桃の節句の頃になるとキレイなお人形がみんなの家に飾られるのに、私だけ持っていないことが悔しくて恥ずかしくてたまらなかったひな人形が。
母の実家への帰省は、距離が遠かったのでお盆の頃にしかしたことがなくて、ひな祭りの時には一度もしていなかったので、一度もひな人形を見る機会がありませんでした。
ガラスケースに入っていたひな人形。
お雛様とお内裏様と、三人官女の5人がいて、
ケースには、オルゴールがついていました。
母方のおばあちゃんから、私が生まれたときに贈られたものだったそうです。
ところが、母は、ガラスケースが重いし、飾るのがめんどくさい、と言って、実家から移動させるのを断って、実家に置きっぱなしにしたそうです。
母は万事そういう人で、季節の行事やイベントに全く興味がない人でした。そして基本的に怠惰。
クリスマスや誕生日にはケーキを食べてプレゼントを買ってくれたけど、「サンタさんなんか居ないよ、今からジャスコでお母さんがプレゼントを買ってあげるから一緒に行こう」と幼児に躊躇なく言う人でした(笑)七夕も節分もバレンタインも大嫌いな母でした。
家事が苦手で、とくに料理が苦手な人だったので、季節のイベントごとにそれに合った料理を作るなど考えられない人でした。
というわけで、ひな祭りの時の食事も完全に通常運転(おやつに雛あられ食べるぐらい笑)
女の子の健やかな成長を願って…的な発想は母には全く無いので、ひな人形を毎年飾ることも、めんどくさい、としか考えられなかったんだろうな。
あとは、あまり人に興味がなかった母は、「見栄」というものが皆無に近く。みんなやってるから、ウチもやらなきゃ、的な思考には全くならなかったのです。有る意味、現代的と言うか欧米的なのかも(笑)時代がようやく母に追い付いてきた!?(笑)
話があっちこっち反れましたが、私は、小さい頃にひな人形を飾ってもらえなかったことを今でも結構恨んでいて。(笑)
自分が母親になった今、タマゴロウは初節句以降、絶対に毎年、五月人形を飾る!と決めていました。
毎年、誰の手も借りずに自分で飾れるよう、軽いアクリルケースのものを選び、狭い賃貸でも棚の上に飾れるように、奥行きの小さいものを探し回りました。大手の人形屋さんは、でかくて立派なものばかりで、あとケースがアクリルじゃない。とにかく私一人で出し入れが出来、飾るスペース、片付けるスペースを心配しなくて良いものでなければ。
結局、当時、赤ちゃんデパート○谷(←知ってます?笑)でピッッタリの五月人形を見つけました。たぶんタマゴロウは興味がないのだけど、これは私の自己満足で、毎年かならず飾ります。
タマゴロウのため、と同時に、
私にはひな人形がない、と拗ねていた、小さい私のために。
ちなみに、この記述を読み返すと、私の母親がスゲー毒親っぽいですが、私は母のことが大好きで、先日も長電話をしてたとこです。(笑)
長くなっちゃって全然七五三のことが書けなかったので、次に続きます。