前回、≪墓場鬼太郎≫のことに触れました。ゲゲゲの鬼太郎でお馴染みのあの鬼太郎です。
鬼太郎は、墓場で生まれたという設定なんだそうです。
これは、日本昔話にある【子育て幽霊】という怪談話が下敷きになっているとの事です。
この怪談話は古くからあって、水木さんが子どもの頃から紙芝居の題材にもすでになっていたらしいです。
Wikipedia情報によると、中国に【餅を買う女】という怪談話があり、それに内容が酷似していると書いてありました。
餅が飴に変わったんですね。
もしかして漢字を写し間違えたってことはないですかねw
ちなみに、【食】篇には、餅や飴のような旧字体が使われてますよね。(スマホだと、旧字体が勝手に新字体に変換されて表示されちゃってます。おかしいな。)
ついでに、これは何でなのかを調べてみたらこんな回答が載っていました。
『戦後の日本で複雑な旧字体の文字を簡易字体にしようとしました。
使用頻度が高いものを現在の【常用漢字】の前身【当用漢字】とし、【食】篇に関しては
食、飢、飲、飯、飼、飽、養、餓、余、館の11字が採用されました。』と。
よって、それ以外は旧字体と新字体どっちでも正解ってことらしいです。
さきほどの11字の中で「あれ?」って漢字がありますね。
そう「余」です。
食篇ついてないじゃん。
これは、旧字体の【餘】が簡易的になって、【食】が取れちゃったらしいですよ。
そんな変化ある?トリッキーすぎるよね。
意味わかんないです。。。
膨大過ぎるものを整理しようとした時、時々もはや意味不明な分類をされたりするのね。
もう事故としか思えませんけど。
さて、話を戻しましょう。
そもそも、餅を買う女という話があって、それが伝わった可能性があるということです。
この怪談話の内容をご存じない方のために軽くあらすじを紹介します。
ある晩、店じまいをすでに終えている店に、白い着物を着た痩せて顔色の良くない女が一文分の飴を買い求めにやってきます。
次の晩も、次の晩も、店じまい後に一文分の飴を買って帰る女。
六日目の晩、「買いに来るのは今日が最後です」と言い残し店を後にします。店主は気になって後を付けていくと、女は墓場で姿を消します。
店主は墓場から赤ん坊の泣き声がかすかにするのを耳にして、ある墓を掘り返してみると、死んだ母親の遺体のそばで飴を持って泣いている赤ん坊を見つけるという話です。
お代は、三途の川を渡るときの船賃として供えられていた六文だったから、六日間連続で通ってきていたのだという理由が明かされます。
怪談話というものは、人に何を伝え聞かせるための話なのかよく分かりません。
【子育て幽霊】に関して言えば、タイトルからして母の子を思う愛情ってことなのかもしれませんが。
実話なのかもしれないし、それに尾ひれがついて物語になる場合もあると思います。
ただ「ひゃ~、怖い話ねぇ」で終わっていいものなのか、聞き手側の心理もありますしね。
以前、小泉八雲の本を紹介した時に書きましたが、わたしにとって日本の怪談とは日本という風土や礼節や暮らす人々の心などが色濃く反映している物語だと思います。
過去記事⇒日本の面影
この【子育て幽霊】の話を聞いて、あなたはどんな解釈を付けるでしょうか。
そして、さらに興味深いのが、『この赤ん坊は長じて高名なお坊さんになったそうな』でお話が締められているとの事で、そのお坊さんはこの方をモデルにしたのだというモデルとされる方が多数いる事です。
例えば、空海さんのようにみんなが知ってる高僧だからという理由ではなくて、本当に出産時に母親が亡くなったとか、中には本当に墓場で発見された出自であるとか、それっぽい理由がある方々だったりします。
昔の事ですから、出産時に母親が亡くなってしまうことは現代よりは多そうなので、なんらかの関係はあるかもしれません。
飴(水あめ)の起源は古くて、神武天皇が最初に作らせたという記述が日本書紀にあるとか。
へぇ~
原料はコメだろうということです。だとすれば、日本の庶民にかなり根付いたものですね。