みなさんは補助輪なしの自転車にいつ乗れるようになりましたか?
5歳から6歳くらいですか?
どれくらい練習したでしょうか?
この話は、2年前にもしていました。
過去記事⇒自転車の練習に学ぶ
いま読み返してみて、本当にわたしって一貫して『昔ながらの根性論』に対して不満があるんだなと思いましたw
だからといって、「そんなやり方についていけません!」と堂々と宣言したり出来ませんでした。
ま、効果的な自転車の練習方法なんか知らなかったですし、それしかないと思っていたのでそれは仕方が無いですけどね。
とにかく、何においても要領を掴むのが遅いし、自分の中でこれが正しいと信じたものには頑固にそれを貫こうとしていました。
例えば、定期試験の勉強。
親から見たら、「なんて時間のかかる要領の悪い勉強を頑張る子なのかしら・・・」と思っていたそうです。
だからといって、「こういう風にしたら?」と言ってくれても「ううん、これが自分には合ってるから」と耳を貸さなかったと思います。
だから、親に対しては「何よ、そんなら早く教えてくれてたら良かったじゃない?」なんて思ったりはしていませんけどね。
これは、人から押し付けられたやり方ではなかったから、文句は無いんだと思います。
自転車に関しては、とにかく運動神経が悪いのでバランス感覚を掴むのが遅いし、転んで怪我したくないという恐怖心もぬぐえないしで、なかなか乗れるようになりませんでした。
だからと言って「もう乗れなくても構わない!」と投げ出すことも無かったです。
やはり、乗れるようにはなりたかったんです。
ある日、幼馴染のお父さんが声をかけてきました。
「〇〇ちゃん、自転車の練習してるんだって?おじさんが付き合ってあげるよ」と。
お父さんだったから、時に甘えたり「もう今日はやめたい」とか言えたけど、友達のお父さんにはそれは言えない。
さらに「いえ、大丈夫です。」と断ることも出来ないw
そして、なぜか分からないけど、自分の自転車ではなくて友達の自転車を借りて練習することになりました。
友達はわたしよりも背か低くて、自転車も小さいタイプに乗っていました。
そのせいか、なんとなく怖さが半減したのを覚えています。
そのおかげで、わたしはたった1時間くらいでなんとなくコツを掴んだのです。
それまでの練習ももちろん基礎にはなっていますが、そこに恐怖心を取っ払う心がブースターになったんだろうな。
そしてその日、わたしは完全に乗れるようになりました。
よく『自転車は一度乗れるようになったらずっと乗れる』といわれます。多分、今も乗れるんじゃないかな。。。もう30年くらい乗ってないけど。どうかな。
そうすると、乗れなかった時の感覚が逆に分からなくなります。
不思議です。
なんであんなにフラフラしていたんだろう。
どうしてバランスが取れなかったんだろう。
自転車に乗れない演技をしてみてくださいっていわれても、逆に多分出来ないだろうな。
例えが変わりますが、だまし絵ってありますよね。
この中にウサギ以外の動物が隠れていますよ。みたいな。
目を凝らして見るんだけど、全然分からない・・・
でも、一旦答えを知った状態だともう「えー、どこよ?」と見つけられなかった状態に戻れない。
なんかそんな感覚に似ています。
願いというのも同様で、『〇〇なわたしになりました!』と思いを放ちます。
すると、放った状態でもう既に叶ってますよと色んな願望実現の達人さん?は言うんです。
既に叶ってますよ?!
え?今から叶えるんじゃないの?
どういうことでしょうか・・・
混乱ポイントですw
これも、「あ、確かに既に叶ってるわな」と願った瞬間に思えるようになったら、「え?まだ叶ってないけど・・・意味わからん」と混乱していた気持ちにもう戻れないんです。
108さんの動画で、たしか話されていた話があります。
完全な充足を太陽を例えに出していて、分かりやすい例だなと思ったことがありました。
わたしたちは、お日様の恩恵を受けてます。
良いことをしたからとか、学歴が高いからとか、嘘をついたことが一度もないからとか、神を信じてるからとか、そんな条件は一切ありません。
全員平等に恩恵を受けられます。
生まれてこの方ずーっと、既に、恩恵を受けてます。
もし「恩恵を受けられなかった時がある」と言うなら、それは勘違いです。
そして、時にわたしたちは特定の願いを持ちます。
「お日様の恩恵は受けたいけど、顔は日焼けしたくないから身体だけ小麦色に焼けて欲しい」とかねw
ううん、違うんです。
お日様の恩恵は日焼けだけの為にあるんじゃない。
規模で言えばすべての命を支えている。光合成だってなんだって、すべてお日様の恩恵です。
美しい日焼けなんて、そのずっと端っこにある恩恵です。繋がってます。
だから、大丈夫。
お日様の光を浴びた時に、わぁ〜暖かくて気持ちいいなぁと感じます。(この場合は、ギラギラな真夏の太陽じゃなくて、冬の太陽かな)
その心地よさが、センサーです。願望が叶った時に味わえる気持ちと一致したら、それと同じ安心感、幸せ感を感じ続けたらいい。
食べてる時も、ボーっとしてる時も、トイレにいる時も、小麦色の肌を手に入れてウフフ🎵と叶った気分に浸ってる時も。
そうして、自分が心地よくて楽な気分でいたらいい。
もしかしたら、海に誘われるかもしれません。新装開店の日焼けサロンを見つけるかもしれません。キレイな小麦色の肌に見えるコスメをプレゼントされるかもしれません。
でね、もしも「叶わないんですけど・・・」という現実を見ているんだとしたら
「わたしにはお日様の恩恵を受ける権利なんてなんじゃないかしら」
「だって、昨日家族にあんな態度取ったし」
「日焼けしたい!と思ったと同時に台風来たし」
「そもそも、小麦色にならずに赤くなって終わる肌質だし」とか、もう関係ないことまで引き合いに出して思考をこねくり回しているかららしいですw
傍から見るとおかしなことだと分かるんですけど、当人になると見えなくなるんだよなぁ。