11月も半ばを過ぎた今、銀杏は日に近いところから秋らしい装いになってきました。独立館へ向かう道の桜並木も然り。入学式の日にはあんなにも淡い色をした花を咲かせていたのに、今はもう赤い葉を散らしています。4月にしては肌寒く、慣れないスーツにコートを羽織ったあの日には曇っていた空も、今日はこんなにも青く高い。
そのまま独立館に入ると、夏の暑い日、この場所でPV撮影の構図確認をしたことが思い出されます。舞台と宣美に入り浸る私の、映像部としての初作業でした。あと数分でチャイムがなりそうな時は駆け上がる階段も、余裕のある時にゆっくり登ってみると、建物の美しさに気づけるものです。コンクリートとガラスという無機質な空間に入り込む蔦の美しさに、この時まで気づけませんでした。
ご挨拶が遅れました。2025年度三田祭一年生企画の脚本を書きました、中川原と申します。
急に風景描写から始めて何だよって感じですよね。すみません笑 でも何故かと言えば、最近こうして、日吉の景色に思い出が重なるようになったことが嬉しくてたまらないのです。久しぶりに地元の通学路を歩いた時、自然にランドセル姿の友人が思い出されるように。友人の家との分かれ道に差し掛かると、ひとりでいても何故か立ち止まってしまうように。夜の東京タワーを見ると高校の文化祭を思い出すように。日吉にも私の思い出が増えていきます。
場所だけではありません。バレエシューズ、テニスラケット、サメのぬいぐるみ、刀、ミャクミャク、赤井秀一、二重らせん構造、沖縄料理、とんかつ、ラーメン、挙げるときりがないほどに、たくさんの物がこの三田祭の稽古期間のことを思い起こさせます。
それって幸せなことだと思うのです。だって、例えその大切な記憶が頭の奥深くに眠っていて思い出せなかったとしても、物をきっかけとしてそのことを思い出せるから。
私が季節の催しを好いているのも同じ理由なのだと思います。今年は花火を五回見ました。来年また花火を見たら、その時のことをまた思い出します。レジャーシートを広げた場所、その上でみんなで摘んだもの、着ていた浴衣の柄、混雑した帰りの電車。お花見も、藤の花も、紫陽花も、海も同じです。この先やってくるクリスマス、初日の出、雪、バレンタインもそうです。こうして年月を重ね、それらに結びついた思い出が増えてゆくことを、とても幸せに思います。
来年また木々が色づく頃、私は何をしているでしょうか。何をしていてもきっと、黄色く日に照らされる銀杏を見たら、この三田祭の事を思い出すでしょう。
三田祭ブログ第1号を執筆させていただきました。奇しくも物語の始まりである脚本が、ですね笑
戯言はこれくらいにして。本日は2025年11月19日、三田祭の仕込み期間初日です。三田の地でも、みなさまと良い思い出を作れますように。