今朝の目覚めのとき、なぜか今は亡き義理の父のことをしきりに思いました。
義父は94才でこの世を去りました。林業、農業を営む家に8人兄弟の長男として生まれ、以来長男として両親を助け、兄弟の面倒をよく見ることを生涯し続けました。
青年に達した頃、家をでることを決意、誰にも言わずまだ薄暗い明け方に一人家を出発したそうです。母はそんな息子の決意を察していました。そっとお赤飯を炊き玄関先においてあったそうです。
義父はいつもその時の話を子や孫にしてくれました。
その後、義父は企業の援助で様々な技術を身につけました。そして、一念発起して会社を設立、何年か後に大成功者になりました。
私が出会ったころの義父はおしゃれで最高級品を身につけ、自信に溢れどうどうとしていました。
家族を海外旅行につれていき、グルメでこの時代は最高のレストランに連れていってくれたものです。
会社でも従業員の生活の細かい部分まで気を配り、困ったことがあれば親身になって世話をしていました。
私はそうしたことに全く興味がなく、義父の世界として他人事のように感じていました。でも鷹揚な義父が大好きでした。
富士山へも85才まで一年にいっぺん自力で登っていました。自分を試すためだったのかな~と思います。
そんな義父も80代後半になる頃から 衰えがでてきました。大好きな会社へも行けないことも多くなりました。
そのころに私たち家族は共に住み始めました。 それからは多少の痴ほうが出始め、転んで骨折し、歩けなくなりました(頑張りやの義父は最後にはゆっくりゆっくり歩き始めていました)
義父は物事を忘れるだけの痴ほうでした。そんななかで私と義父との本当の触れ合いがはじまりました。私がいらいらしてきついことをいうと、義父はいつも私を穏やかに諭してくれました。『そんなことを言っちゃいけないよ。人には優しくね。』
そして、なにかしてあげると『ありがとう~ありがとう』と目に涙を浮かべ言っていました。
忘れられない光景があります。それは飼い犬が死ぬとき、一週間ほど横たわっていました。苦しんでいました。義父は犬の側に寄り大粒の涙を流し『可哀想に~可哀想に~』と泣いていました。
最後の日を迎える2、3日前に兄弟たちが病院にお見舞いにきました。発声がよくできなくなっていた義父は喜び、涙でくちゃくちゃの顔で、やはり『ありがとう~』 と伝えようとしていました。
私は若くてなにも理解していませんでした。生意気でした(^^;
今、思うことは精一杯生き抜いた義父の素晴らしさです。人には自分の思う最大限な優しさを示すことを忘れていなかったことです。私たちはこの世を去る時は一人です。蓄えた蓄財も持っていくことはできません。裸で生まれ、裸でこの世を去るのです。
義父にも言うに言えない苦労があったことでしょう。義父の中に厳しさもありました。
でも最後に残ったのは『ありがとうの言葉、感謝』でした。
私は義父からなにか大きなギフトを受け取ったようです。
お父さんありがと^^