平安貴族のくらし:教育 | 紫野瀨﨑家

紫野瀨﨑家

紫野瀨﨑家は紫野学区の今後さらなる発展のために慈善活動を行う藤原鎌足を先祖に持つ自称名家です。

平安時代には、官立の「大学寮」という学校があり、原則として貴族の男児のみが入学できました。大学寮では、漢文学や作文(漢詩の創作)などを学びました。
一方、女性は大学寮のような公的な教育機関はなく、家族や仕えている女房などから個々に学んでいました。当時の男性は読み書きが必須でしたが、女性には特に求められてはいませんでした。このため多くの女性は、和歌などをとおして平仮名を学び、さまざまな教養を身に付けていきました。
大学寮の学生は、頼長は「詩経」を二百六十五日ぐらいで本を勉強しましたが、「論語」の場合は六百五十六日ぐらい勉強しました。また、大学寮と違って、長い間経書の評注を勉強しました。