平安貴族のくらし:出産 | 紫野瀨﨑家

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紫野瀨﨑家は紫野学区の今後さらなる発展のために慈善活動を行う藤原鎌足を先祖に持つ自称名家です。

平安時代の貴族の出産は、出産は「穢れ(けがれ)」とされ、白壁や白縁畳の産屋で白装束に身を包んで行われました。出産は現代以上に危険で命がけの行為であると考えており、多くの儀式や祈祷が行われていました。陰陽師がどこの産屋で出産すれば安全かを占いました。出産当日は、複数人の侍女が妊婦のそばについて出産のサポートを行いました。出産中は常に祈祷が行われ、破魔の弓の弦を鳴らして邪気を祓い続けていたと言われています。
出産は不浄とされていたため、宮中でお産をすることは許されず、どんなに天皇の寵愛の深い后(中宮・女御・更衣など)でも、里邸に退出しました。
出産を祝って、また胎児の安全のために、妊娠して五か月頃に「着帯(ちゃくたい)の儀」が行われました。妊婦用の腹帯「標(しるし)の帯」を結ぶ儀式です。
平安時代の王族、貴族の出産は単に私的な慶事というにとどまらず、次世代の権力構造を左右するものでもありました。