前回紹介した、Dark Side of The CageのPart2がYouTubeに上がっていたので、当然の事ながら一気見した。
内容的には、桜庭のグレイシーハンター路線がひと段落し、完全に人気が定着した2001年から崩壊までの流れを紹介している。桜庭が2001年3月にシウバに敗北して以降、圧倒的に体格的にハンデがある相手などをぶつけられた事などもあり、2000年までの奇跡的な活躍は影を潜めていった。
しかし、すでにPRIDEと言うブランドそのものが超一流、ファンにとっては「ガチンコが強いのであればPRIDEに出ろ」と言う図式が完全に成り立っており、次から次へと新しいファイターたちが世界中から集まるようになっていった。一応、桜庭以外の日本人としては高田がまだギリギリ現役であり、そしてやはり強かった藤田和之も完全にPRIDEを主戦場にしていた。
また2002年のダイナマイトにて吉田秀彦がMMAデビューを果たしていったのだが、まだプロレスファンが多かったPRIDEにとって、柔道家から転身の吉田はファンの求心力は高くはなかったかと思う。前述の高田や桜庭はすでに下降線に入っており、未だに日本人最強説が根強い藤田も、集客力、スター性と言う点ではどうしても劣る面があった。こればかりは強い弱いではなく、もはや前田日明のように生まれ持ってのものだからどうしようもなかった。
ただ、PRIDEが奇跡だったのは、すでに日本人に頼らずとも、外国人同士の闘いで集客が成り立っていた事だった。代表的なメンツと言えば、K-1で藤田を倒し、いつの間にか顔的存在となっていたミルコ・クロコップ、リングスで名を挙げたノゲイラに、未だに歴代最強候補のひとりであるヒョードル、そして桜庭を連破したヴァンダレイ・シウバなどであろう。
しかし、ミルコ引き抜きが要因だったのか、もしくは他に何かあったのかは知らないが、ダイナマイトの成功以降PRIDEとK-1は疎遠になり、2002年年末の猪木祭りを最後として共闘路線にピリオドを迎える。そして格闘技人気がピークを迎えた2003年、日テレの猪木祭り、TBSのダイナマイト、そしてフジテレビのPRIDE男祭りの三大格闘技興業が大晦日に開催された。
まだスマホはないものの、そこまでの数年でブロードバンド回線が爆発的に普及した事もあり、一般家庭のPC所有率がほぼ一家に一台レベルにまで普及していた。よって、雑誌や新聞を読まずとも、ネットから情報を得る事が容易となっていったので、私も常に情報を得ていたのであるが、確かに最初は日テレ猪木祭りにミルコが参戦し、東スポか何かの一面に、「小橋VSミルコ」と言う突拍子もない記事が掲載されていた事を覚えている。
格闘技とは一線を引いていたノア、しかも大エースの小橋が出る訳もないのであるが、確かにその時点ではミルコの出場自体は内定しているかのように思えた。しかし、すでにPRIDEの顔となりつつあったミルコが、他団体、しかも他局の興行に出場するのだろうか?
案の定、それは流れる事となったが、その代わりにヒョードルの出場が発表された。しかも、相手は新日本のプロレスラーである永田裕志である。ただ、ヒョードルもすでに完全にPRIDEの顔、しかも最強の名を欲しいままとした絶対的な存在だった。そんなヒョードルが、これまた他局のイベントに出るのだろうか?
結果はご存知のように、そのまま出場し永田を秒殺した訳だが、この辺りの裏話がそれこそ本当にこの番組では赤裸々に語られている。内容をご覧頂ければわかると思うが、とても日本のメディアでは取材は不可能な内容だ。こんなやり取りが行われていたとは、なんとも恐ろしい世界である。
その後もPRIDEGP2004にて、当時ハッスルで一世風靡していた小川直也を招聘するなど、PRIDEは世界一のMMAの舞台の名を欲しいままとしていた。そして、それは当面続くかと思われたが、盛者必衰、とうとう黒社会との繋がりが表面化した2006年、フジテレビは突如としてPRIDEの放映を打ち切り、最大のバックアップと資金源を失ったPRIDEはそのまま崩壊の道を辿る事となる。
その後、榊原氏がRIZINを立ち上げた所までが描かれているが、MMAの主流が完全にUFCに移った事もあり、PRIDE時代の圧倒的なブームと興奮には全く及ばない。また、技術の進化により、全てのファイターがMMAをベースとし、彼らが特定の格闘技を背負って闘う事もなくなった。これでは、当然完全に個人の好き嫌いで選手を応援する事となる。つまり、どちらにも思い入れがなければ、ほとんどの人間にとっては勝敗への関心は薄くなってしまう。
何故アントニオ猪木の格闘技戦が支持されたか、何故UWFが狂信的なまでに支持されたか、そして、何故無名な初期のMMAイベントに、お客が足を運んだか、それはもちろんプロレスファンがプロレス最強を信じ、そしてプロレスラーがプロレスこそ最強である事を示してくれる事を信じたからである。
だからこそ、ファンは高田VSヒクソンの結果に失望し、そして桜庭のグレイシー連破に狂気したのだ。中期以降、プロレスラー、プロレスファンに頼らずとも成功を収めたのは奇跡と言っていいが、それでもプロレスラーがいたからこそ、そのきっかけが生まれた訳だし、もっと言えばアントニオ猪木がいなければ、MMAと言う概念すら日本では生まれなかったはずである。
なので、プロレスと格闘技が分離した今となっては、やはりあのような熱狂は二度と生まれないだろう。それぞれで繁栄してくれればそれで十分なのであるが、それでもプロレスと格闘技が交わったからこそ、あの空間が生まれた事はまず間違いないのである。