橋本真也について語る・その20 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

2000年のイッテンヨンでは、橋本と飯塚が組み、小川と村上が組んでのタッグマッチが実現した。この時、一応立会人と言う立場で猪木が登場したのであるが、「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」の名言を発したのが実はこの時である。試合は一旦ノーコンテストみたいな決着になったと思うが、それを不服とした橋本と飯塚が再戦を希望し、そのまま再戦となった。試合は沸きに沸き、最後は飯塚が村上を背後からスリーパーホールに極めて勝利した。

 

この時は、背後に回り込んだ飯塚がスリーパーに極め、村上がタップ出来ずに落ちた所で決着となったのであるが、この時の村上の落ち方が見事でこの瞬間だけでもプロレスファンの溜飲が下がったものである。そして、4月には引退を賭けた再戦が決まるが、これがあの有名な、もはや伝説とも言える「橋本真也34歳、負けたら引退スペシャル」である。

 

この時点でまだ34歳、つまりは今のオカダよりも若いと思うと、まだまだ随分と若い時だったのだな、と思い知らされる。そして、再び前哨戦的なものとして、3月に行われたメモリアル力道山2のメインにおいてもタッグマッチで対戦した。しかし、この時はちょうど橋本が会場入りする際、村上が遅い流血しながら会場入りするという事件が発生し、血が止まらない橋本は赤く染まったタオルを巻いて入場してきた。

 

当然、ほとんどのファンはそんな事知る由もなかったので、なんと試合前にご丁寧に「小川ー!何故村上に俺を襲わせた!」とマイクアピールをしたのだ。もちろん、会場入りの際にはクロネコ氏も一緒に居たので、もちろんプロレス的な流血であったのだが、さすがにこれはいくらなんでも茶番過ぎるのではないか、と思ったものだ。因みに、この大会は猪木と滝沢氏がエキシビジョンマッチを行った日でもあり、この試合と数試合を収めたビデオCD(DVDにあらず)がダイソーで販売され、ノー地上波であったにも関わらず結構な人が見たのではないかと思う。

 

そして、自分が忘れていたので時系列が前後してしまうが、その10日前にはなんと笑っていいとものテレフォンショッキングにまで出演。誰の紹介だかは全く覚えてないが、ググったらパンチ佐藤だったという。どういう繋がりなのかは不明であるが、実は橋本の出演と言うのは1989年以来、猪木に紹介されて以来の2回目の事である。しかし、まるで無名だった当時とは異なり、この時は小川との再戦もかなり話題になっており、前回触れたように一般的知名度も大きく上がっていた頃であったので、若い女性客ばかりの会場でもそれなりに反応が大きかったものである。それは素直に嬉しかったものだ。