1996.1.4では橋本は山崎一夫と対戦しているが、実際に観に行ったにも関わらずほとんど記憶にない。何と言ってもこの日はセミリタイヤ後では最も伝説とされる「猪木VSベイダー」戦が行われた日であるので、正直ほとんどのファンにとってそれ以外はメインですら記憶に薄いのではないかと思う。せいぜい安生の顔がガムテープでぐるぐる巻きにされた程度だった。
で、案の定ここで武藤は高田に敗れ、年末までの武藤時代はあっさりと終焉を迎える。しばらく王座を高田に渡して価値?を高めた後、満を持して史上初となる4月の東京ドーム大会にて橋本VS高田の王座戦が組まれる。それまで東京ドーム大会と言えば1.4のみが当たり前だったのに、何故唐突に4月にも組まれたのか謎であったのだが、のちの永島氏によると、そうでもしないと会社が持たなくなったから、と言う事に過ぎないらしい。
しかし、この日は橋本VS高田以外にも、伝説的なムタVS白使の試合が組まれたりするなど、超豪華超満員確実な大会であった。そしてこのタイミングで週刊プロレスの取材拒否が始まったので、それに対抗するかのように週プロは「東京ドーム観戦記」と言う文字だらけの増刊号を発売するという暴挙に出る。なので、さすがに週プロ派だった私も、この時ばかりは週刊ゴングの増刊を買ったかと思う。
そして、メインでは橋本がわずか12分で高田を仕留め圧勝する。この時はUを意識してか、垂直落下式DDTからそのままフォールに行かず、三角絞めがフィニッシャーとなった。ドームのメインで12分と言うのはかなり短く思えるが、Uスタイルに慣れきった高田が相手では20分超えの試合は難しかったかと思われるのと、当時の観客はまず結果ありきと言うのがあったので、これでも会場は大爆発だったのだ。
そして、再び橋本時代の到来を迎えるが、この時私はあくまで週刊プロレスに拘ったため、新日本はテレビで得られる情報以上のものは知らなかった。なので、記憶にあると言えばリック・フレアーを相手に防衛戦を行ったことぐらいである。この時のフィニッシャーは通常のDDTだったような気がするが、当時のフレアーはすでに46歳を迎えていたにも関わらず、もろに頭から突き刺さっていた記憶があるので、普段WCWでは受けなれていないであろう技を喰らって本当に痛そうだったフレアーを見て少し可哀想に思えてしまったものだった。