橋本真也について語る・その12 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1995年の1.4では、素顔に戻った佐々木健介と正真正銘のメインイベントを張る事となった。橋本自身は、これより5年前の2.10で蝶野と共にメインを張っていたものの、主役はあくまで猪木・坂口であり、IWGP王者として一番最後にコールされたこの大会こそ、本当の意味でメインイベンターになったと言えたと思う。

 

しかし、メインこそあくまで王座戦であったものの、興行の目玉とは「格闘技トーナメント」と称した正直苦し紛れのイノキカウントダウンの3回目だった。WCWからわざわざスティングを呼んだり、またUWF系ファンには著名なジェラルド・ゴルドーなども見れたのはプレミア感があったものの、正直何故わざわざこんなトーナメント形式にしたのかは全く意味不明だった。

 

で、これはあまり触れたくないのであるが、学生以外には仕事始めの平日4日と言う事もあったにせよ、猪木の試合が終わった時点で会場を後にしていったファンたちがかなり居た。この時代は一見超満員に見えるものの、招待券の数もそれなりに出回っていたので、そういう人たちであったのかも知れないが、さすがにこれからセミ、メインに出場する選手たちは気の毒に思えてしまった。

 

この大会は対抗戦などのテーマは皆無であり、ほぼ新日本とWCWの連中のみでカードが組まれていったのであるが、そのために既視感のあるカードが多く、特にセミなどは前年と全く同じ組み合わせだった。そして、ほぼ2年ぶりに佐々木健介が復活したのも一応話題とはなったものの、元々パワーと健介に大差はないし、当時の感覚としては「この2人がドームのメインなの?」と言うのがほとんどではなかったかと思う。なので、会社は橋本を押していようと、この時点ではファンのほとんどが猪木はもちろんの事、長州や天龍を超えたとはまだ思っておらず、その間にはまだ厳然たる「格」が存在していた。

 

その後、凱旋帰国したばかりの天山、ノートン、そしてスティーブン・リーガルらとの防衛戦を行い、これが当時最長の9連続防衛となった訳である。いずれの試合もワールドには上がっていないので、今すぐに見返す事は出来ないのだが、一番最後のリーガル戦が、垂直落下式DDTをキックアウトし、腕十字で無理やり決めた曰く付きの試合となった。

 

当時は大試合に限ってフィニッシャーを一度はキックアウトして良い、と言う風潮はなかったし、特に橋本の垂直落下式DDTは決まったら誰も返せない、と言う一撃必殺の技として認知されていたので、リーガルが返した時にはドッと沸いたものである。しかし、その直後の橋本のキレようを見ると、やはりリーガルが空気を読めないだけだったのかも知れない。シュートに自信があるのか否か分からないが、数年後今度はWCWで売り出し中のゴールドバーグに対して固い攻撃を仕掛けてしまう。