その頃はまだテレビがやっている時間に観る、程度のものだったので、薄っすら太目なレスラーが居る、ぐらいの認識しかなかったかと思う。そんな自分が完全に橋本と言うレスラーを完全に認識したのは、90年の年末にファミコン通信が唐突にプロレス特集を組んだ時の事である。
その頃はまだテレビがやっている時間に観る、程度のものだったので、薄っすら太目なレスラーが居る、ぐらいの認識しかなかったかと思う。そんな自分が完全に橋本と言うレスラーを完全に認識したのは、90年の年末にファミコン通信が唐突にプロレス特集を組んだ時の事である。
当時すでにそれなりに偉い立場だった浜村氏が大のプロレスファンだった事、そして以前も触れた怪獣ひでごんすこと柴田氏など、ファミ通編集部に何人かプロレスファンが居た事から実現した企画であったのだと思うのだが、これはしばらくプロレスを離れていた自分にとって大変有意義な特集であり、それは何度も読み返したものである。
そして1990年12月26日、浜松アリーナから久々の生中継特番が行われた際、目玉カードのひとつとして「橋本真也VSトニー・ホーム」が組まれた。当時、ホームはすでにプロレスラーとしてデビューしていたとの事であるが、この当時はその事は伏せられており、あくまでプロレスラーVSボクサーの異種格闘技戦と言うていで行われた。
まだMMAなどない時代、多くのファンはプロレスラー最強伝説を信じていた。しかし、その思いもむなしく橋本はTKO負けを喰らってしまう。もちろん、新日本のリング上で行われた以上はプロレスなのだが、当時のファンは純粋に信じていたため、プロレスラーが異種格闘技戦で負けるというのは今では考えられないほどの失望感を抱いたものである。
その後はまだテレビを見たり見れなかったりが続いたものの、札幌中島体育センターでの再戦も見る事が出来た。しかし、ここでも橋本は敗北してしまう。再戦で勝つのがおおよそプロレス界の常識だった当時、同じ相手に2連敗と言うのはかなり思い切ったストーリーだったかと思う。しかも、これはプロレスの威信をかけた異種格闘技戦だったのだから尚更だ。プロレスファンのフラストレーションは溜まる一方だったのである。