まあそういう訳で、この年は次世代機の話題で持ちきりだったものである。一応、大まかには先行された3DO、その後を追うような感じでPS、SS、そしてPC-FXの任天堂の対抗馬である御三家と言う感じであったのだが、3DOはほぼ眼中になく、PCEにアニメ再生機能を付けただけのPC-FXはすでにダメダメな雰囲気が漂っていたので、実質PSとSSの2強だった。
ただ、すでにスペックは公開されていたものの、発売直前には私はどの雑誌も読んでいなかったので、結局最終的なスペックはよくわからないままだったのである。つまりは両機種の長所も短所も知る由もなく、イコール私の目からはどちらも似たようなものとしか見えていなかった。
まあ、結論としてはPSが3D、SSが2Dに特化した作りにはなっていたのだけれども、PSの2D機能さえも当時の家庭用と比べれば段違いのレベルだったし、SSもバーチャファイターのチラシなどは開発機材の画像が使われており、明らかに実機よりも綺麗だったため、実際にプレイするまでは本当に違いには気付かなかったのである。
一応、PSに関しては発売前にもらったプロモーションビデオで、そしてSSに関しては店頭でバーチャファイターをプレイする事は出来たのであるが、やはりSFCが現役の当時としてはどちらも凄いとしか言いようがなく、お互いの長所も短所も知る由はなかった。自分でもそんなレベルだったので、余程のマニアでもない限りは大方そんな感じだっただろう。
以降の話はすでに語った通りであるが、先に買ったのはPSだった。両ハードで同時リリースされた「グラディウス・デラックスパック」がきっかけとなったのであるが、PSを選んだ決め手となったのはCMで見た「ナムコミュージアム」もプレイしたかったからである。スペック的にはSSでも出せた内容なのだが、MDにあれほど供給していたナムコがSSでは一本もリリースする事がなかったので、PSを選択する以外なかったのだ。
それから半年後、PS版の「極上パロディウスだ」の出来に不満があった私は、VF2やりたさもありとうとうSSも購入した。すでに白が出ていたが、グレーの方が格好良く、また中古で若干安かったため、そちらを選択した。当然ファイティングスティックSSも一緒だったのであるが、当時はアケコンなどは一般的なおもちゃ屋にはなかなか置いてある代物ではなかったので、買えたのは運が良かった。
そう、当たり前なのだが、当時はネットなどはなかったので、自ら赴いて買う以外なかったのである。その点、流通が良く、そして中古での出回りが良かったSSの方がPSよりも入手しやすい時代だった。PSが小規模なゲームのチェーン店に新品を供給し始めたのはかなり遅く、また大幅な値引きも厳禁だったので、1990年代後半になるまでには一般的なゲーム店では入手性が悪かったのだ。
まあ、その代わり当時のスクウェアが「デジキューブ」を設立し、日本で初めて本格的にコンビニでの販売を始めたのであるが、FFVIIなどはその恩恵を大きく授かったものの、値引き販売が出来ない事、そして在庫も豊富に持てない事などが仇となってすぐに下火になっていった。
それでも、FFVIIがPSの売り上げに果たした功績は大変に大きく、これ一本でゲーム市場の決着がついたようなものである。それ以降、SSは明らかに売り上げが落ち、そして1998年には発売からわずか4年で次世代機であるドリームキャストにメインハードの座を明け渡す事となった。
セガの自虐的なCMもあり、SSは完全な負けハードと言うイメージが付いて回ってしまったが、ゲーマーならご存じのよう実際は大変な名作に恵まれたハードである。しかし、受けが良かったのはあくまでコアゲーマーのみであり、一般層向け戦略を得意としたPSの前には歯が立たなかった。私としては歯がゆい事この上なかったが、メーカーは企業である以上、どんなに良いものを作ったとしてもそれが売れて会社が潤わなければ意味がないのだ、と言う事を年を重ねる事に知る事となった。
なので、セールスと言う点を考えれば圧倒的な敗北であり、繰り返しとなるが良いものを生み出してもそれが売れなければ会社的にはまるで意味がないものだ、と言う事を教えられたものである。