追悼・アントニオ猪木・その30 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

そして、2000年末のヘンゾ・グレイシーとの一戦である。この大会は元々は関西系列のテレビ局が収録しており、その映像にテレ朝の真鍋アナウンサーらがアフレコしたものを、ワールドプロレスリング枠内で放送したはずだったと思う。ただ、放映したのは、武藤敬司が初めてスキンヘッドを披露した髙田と組んでのタッグマッチと、桜庭和志がコーナーポスト上でケンドーカシンの腕を極めてのギブアップという謎決着の2試合だけだったかと思う。

 

つまり、私はヘンゾとの試合はテレビで見た記憶がなく、10年近く経って初めてYouTubeで見たのである。しかし、その映像も何度も上がっては消されてしまったので、今では見る事が出来ないはずである。ゲストに赤井英和氏と和泉修氏、そしてターザン山本と、実況は伊津野亮氏(これは自信ない)と言う、なかなかの豪華メンバーだけあって、これだけでも聞きごたえがあったものだ。

 

しかし、当然主役は猪木である。当時すでに57歳であった猪木だが、Tシャツを脱ぎ見事に引き締まった身体を晒上げた瞬間は、会場からも放送席からも感嘆の声が溢れたものである。試合自体はエキシビジョンマッチだけあって、MMAではまず決まらないであろうダブルアームスープレックスや、コブラツイストなどを披露していったものの、よくあの厳格なグレイシーファミリーが許可したものだ。

 

5分間ながら非常に見ごたえがあったので、何故ワールドプロレスリング内で放送されなかったのか正直不満である。その後、2001年の猪木祭りにおける紅白仮面らと、そして2003年の同大会における藤波辰爾とのスパーリングが私が覚えている限りのエキシビジョンマッチである。前者は途中まで何が何なのか意味不明だったのだが、それでも最後紅白仮面に対して卍固めを決めた瞬間の大歓声は、今見ても最高である。

 

今だと新日本でもWWEでも、「これが決まれば終わり」と言うフィニッシャーで試合を決めるのがほとんどであり、「これが出れば終わり」とファンも決めつけてみている事がほとんどであるが、昭和の時代のトップレスラーはここ一番でしか出さない必殺技が多く、何で仕留めるのかと言う楽しみがあった。

 

現役晩年の猪木で言えばやはり卍固めであり、普段の地方のタッグマッチなどではまず見る事が出来なかった。それ以上にレアだったのがジャーマンスープレックスであったのだが、ブリッジが衰えた晩年としては、やはり最高の技と言えばアントニオ・スペシャルこと卍固めに尽きた。