追悼・アントニオ猪木・その15 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

そしてその3月の試合が終わった後ぐらいか、福岡ドームでグレート・ムタ戦が行われる事が決定された。前年があまりにも豪華カードだったが故に、1994年はそれ以上のインパクトがあるカードを出す事は出来ず、この試合が切り札という感じだったのだが、それでも弱さは感じてしまったものである。

 

そして4月4日、テレビマッチの広島グリーンアリーナ大会のこの日は、武藤敬司が天龍の挑発により、なんと試合中にムタに変身して再登場という事件と、橋本が藤波に蹴りまくった挙句、逆さ抑え込みか何かでクイック負け、という波乱が起きた大会として今も記憶されているが、実は猪木も馳と組み、藤原喜明・石川雄規組と試合をしていた。

 

石川と言えば、藤原組が分裂した際にひとり藤原側に付いていった若手として知名度を上げ、タッグながら遂に猪木戦まで実現と、人生どうなるか分からないという事を体現してくれた人間である。当然、この試合もノーテレビだったのだが、雑誌で見ただけにも関わらず印象に残っているカードのひとつだ。

 

さて、天龍戦は全くテレビでは触れられなかったが、さすがに東京よりも集客が難しい福岡ドームともなるとそうはいかず、猪木の映像は一切出さず文字だけのプロモーションが行われていった。そして、ムタも猪木が出れない代わりに、その後も地方会場で突然ムタとして登場するなど、1人プロモーションに気を吐いていたものである。

 

当然、ムタ戦もノーテレビだったのだが、当時新番組だった「リングの魂」において、猪木が勝利した瞬間のナンチャンの様子だけがOAされた。この時は天龍戦のように臨時ビデオも発売されなかったので、当該ビデオがリリースされたのは年末ぐらいだったかと思う。ただ、結果だけは早く知りたかったので、この時は初めて日刊スポーツを買ったものだ。当時の朝刊紙でプロレスを扱っていたのは日刊とデイリーぐらいだったと思うが、裏一面にムタ戦が大きく載っているのを見てすぐに買ったものである。

 

しばらく猪木の試合は行われなかったが、8月にWCWに招かれてスティーブンリーガルと試合をしていた。リーガルと試合をした記憶はうっすらとあるが、1994年だとは全く覚えていなかった。この時代のWCWはNWO前でまだ地味だったし、何より8月と言えばG1クライマックスなのだから、記憶にないのも致し方ないと言える。