バーチャファイターも垂直ジャンプが異様に高かったり、空中コンボが決まりすぎたりと現実離れしている部分もかなりあるとはいえ、それでも実際の格闘技をモチーフとしているのとそのゲーム性から、それまでの2D格ゲーよりかはかなり現実のものに近かった。ただ、それが個人的にはネックであり、「ゲームで強くても…」という意識が初めて芽生えてしまったのである。
それまでの格ゲーであれば、現実でどんなに鍛錬しようが波動拳もパワーウェイブも撃てっこない、つまりどこまで行っても非現実であると割り切れたが故にハマっていったのであるが、バーチャは前述のようにリアルに近すぎたが故に、私としてはそこで強くなる意味を見出せなかったのだ。
そして、初代バーチャファイターが発売された時期は、奇遇にもパンクラスの旗揚げ、そしてアメリカではなんといってもUFC第1回大会が開催されたのとほぼ重なる。つまり、世の中的に現在のMMAの源流とも言える流れが生まれ始めてきた頃でもあったのだ。当然、それまでプロレスやUWFしか知らなかった私も大きな衝撃を受け、その影響をモロに被り始めた頃でもあった。
まあそんな訳で、ゲーメストの購読をやめた事も重なり、ゲーセン熱は急激に冷めて行った。とは行ってもゲーセンに行く事自体はやめてはいなかったのであるが、それでも極パロをプレイする程度であり新規でゲームを始める事はなかったかと思う。ちょうどこの頃、拠点としていた小田急相模原のコンピュータランドが大幅改装し、2階が加わり一気にスペースも広くなり、ゲーマーとしては理想的なゲーセンが開店してくれたのであるが、皮肉なことに私のゲーセン熱は冷めつつあった。
そして、バーチャファイター2はストII以来の大ヒットを記録し、その盛り上がりぶりにテレ朝深夜の「トゥナイト2」などでも頻繁に取り上げられるほどの熱狂ぶりだった。ハイスコアラーという概念はインベーダーの時代から存在はしていたが、「鉄人」という形で著名プレイヤーが一般メディアの取材を受けるというのは歴史上でも初めてではなかったかと思う。これはストIIの時代ですらなかった事だった。とは言っても、決してバーチャの枠からはみ出す事はなかったので、実際にプロゲーマーという呼称を一般化させたのはやはりウメハラ氏の功績なのであるが。
ただ、その頃の私はアーケードはもちろん、家庭用すら無関心であり、ゲーム雑誌すら読まなくなっていった。一応、当時広まり始めたブックオフなどに行った際、SFCのゲームなどを買う事はあったにせよ、所詮その程度のものだった。
それが変わり始めたのは、時はずっと降った1996年、当時まだコンビニでも売っていたゲーメストを偶然見た際、表紙に「沙羅曼蛇2」の文字を見つけたからである。「沙羅曼蛇はグラディウスシリーズの第2弾」という括りなので、2を冠したゲームが出る事への違和感は拭えなかったものの、ともかくそれにより久々にゲーメストを手にしたのだ。