アーケードゲームを愛す・その42 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

思いっきり話が前後してしまうが、1993年末、我々の度肝を抜くゲームが発売された。それまで、ポリゴンを使用したゲームはすでに数多く存在したものの、その大半がレースゲームであり、よって我々のイメージではポリゴンイコールレースゲームというのが半ば常識であった。そんな常識を根底から覆してしまったのが、セガから発売された「バーチャファイター」である。

 

ゲームの発表自体はすでにゲーメスト誌上にて発表されていたが、正直その時点ではほとんどの人が注目していなかったと思う。ポリゴンを使用した格ゲーというのは見るまでもなく明らかだったのであるが、当時のポリゴンはテクスチャがなく、本当に三角形の組み合わせに過ぎないものだったため、静止画ではその魅力が全く伝わらなかったためである。

 

そんな感じであったので、初めて動いている所を目の当たりにした時の衝撃と言ったらなかった。それこそまさに、画面の中で「人間が動いていた」のである。当時、リアルタイムで目撃した人たちは、異口同音に同じ感想を抱いたはずである。私は地元のコンピューターランドが初見であったのだが、本当にそのインパクトは物凄く、誰もが画面に釘付けになったものである。

 

当時、まだエアロシティ筐体が主流だったのであるが、バーチャファイターは新型のアストロシティ筐体として入荷、つまりは筐体売りであったがために、50円のゲーセンでもそれだけが100円というのが珍しくなかった。場所によっては200円とかもあったはずである。しかし、そのゲーセンは据え置きの50円であったため、学生たちも気兼ねなくプレイする事が出来た。もちろん私もプレイして行ったのであるが、それまでの格ゲーとはまるで趣が異なる3ボタン、しかもパンチ、キック、そしてガードという独特すぎる操作性に誰もが最初はうまく行かず、ほとんどの人がジェフリーで終わってしまっていた。

 

まあつまり、この斬新な操作性のおかげでそれまでのストIIやネオジオで培ってきたテクニックを活かす事が出来ず、再び全員1からのスタートとなった訳である。イコール格ゲーの新たな可能性を開いた、と言えるのであるが、実を言うと私自身はそのグラフィックには圧倒されながらも、ゲームとしてはさほど熱中する事は出来なかった。最初にカーソルが合っている晶が、主役であるにも関わらずテクニカルなキャラであった事もそれに拍車をかけてしまったかも知れない。

 

これがジャッキーのような初心者向けのキャラであればまた違ってきたのかも知れないだろうが、自分は割と最初に使ったキャラに固執するタイプの人間であるため、他のキャラを選ぶ余裕などはなかった。また、3ボタンとは言ってもほとんどの技がコマンド入力で出すものである、つまりそれだけコマンドの数も覚えなければならないため、コマンド入力が苦手な私はその辺りの複雑さも敬遠する要因となってしまった。

 

と言う訳で、私自身は結局ガロスペ、ネオジオのゲームに戻ってしまったのであるが、それでも初見でのインパクトはストII並のものがあったものだ。