ファミコンゲームの主流がRPGと野球ゲームに変わろうとしていた当時、シューティングゲームの勢いは明らかに落ちていた。まあ、元々シューティングというのは人を選ぶジャンルであり、ミリオンセールスとなったのもゼビウスとグラディウスだけ、という現実もあったのであるが、それでも前年のスターソルジャーと比べると明らかに盛り上がりには欠けていた。
そして、前回触れたように、この「ヘクター87」は、明らかに前2作とは趣が異なるゲームであり、連射よりも戦略性を重視する、当時のアーケードゲーム、特に沙羅曼蛇の影響を強く受けたゲームであったと言える。キャラバンモードでは縦スクロール面だけの仕様であったとは言え、これは当時の年齢層にはかなり難しいゲームだった。特に、6面の難易度がかなり高く、私はもちろん、近所の人たちも含めて誰も全面クリアする事が出来なかったほどである。
結局、クリア出来たのは買い直した2001年ぐらいの話となってしまった。そして、そんなゲーム性の割には連射も重要、というか連射装置がないとお話にならないため、わざわざハドソン公式のヘクター仕様である黒いジョイカードMkIIを買ったほどだ。ジョイカード自体は前年に発売済みだったのであるが、当時はまだ連射は自分でしてこそ王道、という考えが根強く、実際キャラバンでも公式採用はされなかった。しかし、この時はさすがにそうも行かず、一応選択は出来るとは言え事実上ジョイカード一択であり、これが唯一無二の公式コントローラーという感じであった。
まあ、前年が映画化したりするなど異例の大ブームを巻きおこしただけあって、それと比較しては落ちるのも仕方がない話なのであるが、コロコロ誌面での扱いも微妙だったのは確かである。それもあって、この時の結果は全く覚えてはいない。
私もそれなりにプレイはしたとは言え、前述のようにまるで異なるゲーム性に歯が立たなかったのを覚えている。では他に何をプレイしていたかと言えば、同年6月に発売した「オホーツクに消ゆ」である。こちらは「ポートピア連続殺人事件」に次ぐ堀井AVG第2弾という事もあり、週刊少年ジャンプ誌上でも大きく扱われていた。しかし、それ以上にファミコン通信のスタッフが大きく関わっていた事もあって、そちらの誌面での扱いの方が大きかったはずである。
はずである、というのは当時私はファミ通は全く読んでおらず、ほんの少しだけ立ち読みしただけだったからである。当時の私の年齢では若干ファミ通は大人向きに見えたので、そのせいもあったのだろう。ただ、ゲーム的にはこの年の3月ぐらいからすでに話題となっており、私も興味があったのであるが、何故か発売時期にはスルーしてしまい、その後も機会がなかった。
店頭に入荷もしないので、ならばという事で親に頼んで注文してもらい、そしてようやく8月にプレイ出来る事となったのだ。