ゲームの容量について語る・その3 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

同時期のPCEやMDに関しては、あまり容量を売りにする事はなかった。印象深いと言えば、せいぜいドラクエIVが4Mで騒いでいた時に、ひっそりとMDの「大魔界村」が5Mでリリースしていた事ぐらいだろうか。翌年、PCエンジンSGの「大魔界村」ではおそらく家庭用史上初の8Mビットが採用された。同年のMD版「ストライダー飛竜」でも8Mビット搭載だったので、すでにこの2機種で8Mビットというのは普通だった。

 

しかし、やはり任天堂王国の当時としては大して話題にもならず、さらにそれを売りとする事もなかった。もしかしたらパッケージではそれを強調していたかも知れないが、少なくともそれが話題を振り撒いたという事はなかった。なので、やはり容量が売りとなったのは任天堂ハード中心であり、そして同年11月のSFCからは8M以上が主流となっていった。とは言っても、ローンチの「スーパーマリオワールド」や「F-ZERO」、そして「グラディウスIII」などはまだ4Mだった。

 

あのクオリティで4Mというのは驚異というしかないが、まあつまりは容量とゲームの面白さは関係ないという証明だろう。しばらく8Mが最高だったかと思うが、ドラクエVにおいて12Mが採用される事が大きく報道された。このままでいけばドラクエVが最大容量となるはずだったのであるが、当然の如く延期が続き、その間に「ストリートファイターII」が12Mどころか16Mビットを採用、一気に最大容量を更新してしまった。

 

アーケード版は48Mビットだったらしいので、それでも容量は3分の1であり、よって多くのモーションが削減されてしまった。最終的にSFCの最大容量は48Mビットまで行ったので、もし同じ容量であれば解像度以外はほぼ完璧に移植出来たのだろうか。今でも興味のある所だが、それでも当時は家庭用の完全移植は不可能というのが常識だったので、多くの人たちがSFC版の完成度には満足していったものである。

 

その後、格ゲーが主流となっていった事もあって、二桁以上のROMは当たり前となっていった。翌年に発売された「ストリートファイターIIダッシュ&ターボ」のそれぞれの移植は、PCEとSFCが史上初の20Mビット、MDに至っては24Mビットを搭載していった。ぶっちゃけその4Mの違いはタイトルデモ以外にはあまり良く分からないのであるが、少なくともROMの容量に関してはMDが一歩リードしていったものである。

 

そして、翌年の「スーパーストリートファイターII」では、SFCが32M、MDに至っては脅威の40Mを搭載した。もちろん、いずれも当時のROMの最大容量である。PCEはCD-ROMが主流であったが、こちらもアーケードカードにおいて18MビットのRAMを実現。この頃が容量で話題になるピークだったかも知れない。