初代プレイステーションを愛す・その4 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

好調なスタートを切ったPSであったが、ソニーの流通が独自なのかどうかは不明なのだが、任天堂やセガは扱っていても、PSだけは扱っていないというお店が当時は多かった。もちろん、都内の量販店や、ヨドバシが出来る前までの町田の有名店であったキムラヤなどは別であったが、そうでない所に限って言えば売っていない場所の方が多かった。

 

特に中古ショップなどではほぼ新品のソフトは見かける事が出来なかったので、中古対策にうるさかったソニーの事、おそらくその辺りが関係しているのだろう。ただ、そんな事を言いつつも、PS発売直後から1995年にかけてゲーム雑誌すらまともに読んでいなかったので、実はこの辺りの情勢はどうだったのかほとんど記憶にないのである。

 

ゲーム自体は続けていたが、たまにSFCのストIIシリーズや中古でレトロゲームを買ってきた程度に過ぎなかった。覚えている事と言えばこの時期になってようやく真・女神転生をプレイしたぐらいである。レベル40ぐらいまでは自力でプレイしたものの、最後まではさすがにそうもいかず攻略本を読んでクリアまで辿り着いた程度だ。そんな自分がどうしてPSに興味を抱いたか、それはナムコミュージアムのCMである。

 

1996年2月に発売されたこのソフトのCMにより、そのシリーズそのものの存在を知ったのであるが、これはまさ完全移植が不可能であった事が常識となっていた当時のゲーマーには待望の作品だった。エミュレータではなくあくまで移植なので、もちろん完全再現とまでは行かなかっただろうが、画面解像度も含めて極めてアーケード版に近い移植を初めて家庭用で行なった歴史的なシリーズである。

 

もちろん、PSはローンチ当初から、アーケードゲームがそのまま遊べる事を売りにしていた。ただ、「極上パロディウス」などは当時の最新基板ゆえ、2Dが苦手とされるPSでは背景の完全再現などが出来ていない部分があった。しかし、1ヶ月後に発売された「雷電プロジェクト」などは極めてアーケード版に近い出来であったし、さらには家庭用初となる縦画面モードも搭載しており、そうすればほとんどアーケード版と変わらないぐらいのプレイを実現したのである。

 

1990年代までのゲーマー最大の夢は、アーケードゲームの完全移植を家庭でプレイする事だった。もちろん、それは到底不可能とされていたので、マニアは基板とコントロールボックスまで購入してプレイに勤しんだものである。それが、1995年の時点でとうとう夢物語ではなくなったのだ。まさにゲームの革命と言えた。

 

しかし、あくまで興味を抱いただけであり、実際に1980年代のゲーマーではない私としてはそれだけでは物欲は生まれなかった。「ゼビウス」は魅力的ではあったが、CMによると過去のメガドライブのように右側にスコア表示の擬似的縦画面モードであったので、これではアーケード版の雰囲気など味わえるはずもなかった。もちろん、縦画面モードも搭載はされているとは言え、当時の環境ではまるで不可能だった。

 

そんな私がなぜ購入に至る事になったのか、それはあの伝説の横スクロールシューティングの存在に他ならなかった。