朝倉海を一躍有名にしたきっかけのひとつである動画が、歌舞伎町で喫煙者を注意するというものである。現時点で1900万回を超えるほどバズった動画であるが、それだけの再生数だけあって、他の同じような動画と比較して群を抜いて面白い。その理由としては、人間の本性があからさまに垣間見える事に尽きるだろう。朝倉海が格闘家と分かった瞬間の相手のビビり具合は、見ていて痛快な事この上ない。
そこで多いコメントが、「このまま連れて行ってボコボコにしてほしい」であるが、私も一流の格闘家が素人をボコったらどうなるかというのは興味がある。しかし、当然現実的には不可能であるし、仮に「スパーリング」という名目であっても、本気でやればそこれそ命に関わる事になるので、これもまた無理である。
そして、格闘家だから成立するこの手の企画の理由としては、朝倉海の契約体重が基本61Kg以下のバンタム級という、軽量級に位置するというのもある。もし、これが100キロを超えるプロレスラーであれば、見た目だけで威圧出来るので、最初からこの手の企画は不可能である。今でこそプロレスラーがテレビなどでいじられるのも珍しくはないかも知れないが、昭和の時代はまずありえなかった。リング上ではさほどではなくとも、テレビなどで芸能人と共演した場合、身体のサイズが大人と子供レベルで違う事に誰しもが驚いたものだった。
当時、ゴールデンタイムで露出が多かった事もあり、プロレスの認知度は今とは比較にならないほど一般層にも高かった。しかし、その分ショーだ、八百長だという声も多かった。当然芸能人にもそんな輩は居たとは思うのだが、実際プロレスラーを目の当たりにしてそんな事を言える人間など存在しなかった。言うまでもなく、アントニオ猪木ら一流のプロレスラーのオーラと威圧感、そして身体の異常な厚みに圧倒されていたからである。それだけ、プロレスラーというのは規格外の存在だったのだ。
なので、仮に当時YouTubeなどがあったとしても、上記の企画などは無理だっただろう。その後、渋谷にて前田日明と喫煙所に向かった企画があったが、前田が居るだけで外で喫煙する勇気ある人間などはいなかった。一度、橋本真也の告別式で目の前で前田を拝見した事があったが、当時はまだ40代であり現役時代とさほど変わらなかった事もあって、威圧感とオーラ、そして身体のサイズが尋常ではなかったものだった。そんな前田を目の当たりにして、公共のルールを破る人間などまあいないだろう。
で、そんな昭和のレスラーたちに私などが抱いた願望として、前述のようにプロレスを侮辱する連中をプロレスラー自身に公開処刑して欲しいというものがあった。何故それをやらないのだろう、と思っていたほどだったが、当然出来るはずもない。しかし、当時はマスコミの目の届かない場所で行われていた事があった。無論、道場破りに対してである。
当然、映像などは存在しないため、レスラーの証言に委ねられる事となるが、一応の流れとしては誓約書を書かせてリングにあげる、というものだった。しかし、大抵の場合は、玄関の靴の尋常でない大きさですでにびびってしまうそうである。そして、そのお相手としては、後のUWFの要となる藤原、佐山と言ったいわゆる「セメント大好き」な連中だった。もちろん、万が一負けでもしたらプロレスのメンツが丸潰れなので、それはそれは言い訳出来ないレベルで徹底的にやったそうである。
その中の有名なエピソードとして、道場破りではないが週刊少年サンデーの企画である「タイガーマスクに挑戦」と言ったものだ。前田の「パワーオブドリーム」に詳しいが、正直いわゆるプロレス的な伝説のひとつだと思っていたのであるが、後年佐山聡が「笑っていいとも!」に出演したときにも語っていたので、本当の話である。山本小鉄さん、前田、そして藤原が10人を相手にしたそうであるが、前2人は出来るだけ傷つけないように関節技で極めたのに対し、藤原は顔面をボコボコにした後、自身最後の相手にはいわゆるチキンウイング・アームロックで骨折させたそうである。
前田曰く、何一つ表情を変えずにへし折った、との事であるが、私はこのエピソードがたまらなく好きである。当時の猪木の教えであった「プロレスラーは絶対舐められてはいけない」というのを実直に実践していたからだ。というように、実際に素人をボコボコにする動画などは出せるはずもないのであるが、実際にそうしたエピソード自体は存在した、という話である。今でこそプロレスと格闘技は別物という認識であり、プロレスラーが強さを誇示する必要はないのかも知れないが、それでもそんな昭和の強者たちの逸話は、今なお我々の心を震わせる。